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ふんわり書いてます。わけわからんかもしれません。

愛のカタチって人それぞれなんだなあ。
ああ、人っていろいろだなあ。
そんなことを痛いほど実感したここ数日…。

同じ人を好きな者同士だと、うれしくなって、ここも一緒、うんうん、私も僕もそう思う、と大いに盛り上がっちゃう。すごく楽しい!

だけど、スマホを閉じれば、ライブ会場を後にすれば、まったく違うことを考えて、違う環境で毎日を過ごしている。ここまで歩んできた人生も百人百様。

歌声にとどまらず、「やさしい世界を」という世界観にも共感している私たちは、その特別な一体感に酔わせてもらっていた。とても心地よく。

でも今思うのは、いつのまにかそのやさしさを旗印に「こうあるべき」というカッチカチの壁を作りあげていたのかもしれないな、ということ。

彼の言うやさしさは、そういった種類のものではないはずなのにね。

みんな違う。みんなそれぞれ。好きなところも、恋に落ちた瞬間も(笑)、音楽の愛し方も。
もちろん、人を傷つけることは推奨できない。私なりに、それは違うんじゃない、と思うこともたくさんある。
でも、誤解を恐れずに言えば、何が人を傷つけるか、と想定していることは人によってさまざまだ。

そう考えると、何が正しくて、何が間違っているかをジャッジするなんてことは、心の中で一人でしておくのが一番いいように思えた。

そうしてみて「なんか苦しい」「んー、もやもやする」となるなら、放置。ほかの人のことは放っておく。これも一つの愛あるリスペクトの仕方だ。

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こんなことをうだうだと考えているのは、彼が今起きていることのすべてを真正面から一人で受け止めようとして、ものすごく苦しいんじゃないかと気になっているからだ。

「1:大勢」の構図で成り立つ世界は、ときに大きな流れを作り、たくさんの人に愛される人気者を生み出すけれど、こういうときにはシンドイな。

ファンをファンという大きな塊として見ず、一人ひとりに愛を持って接してくれるような彼だからこそ(たとえモニター越しでもね)、そんな人が傷ついているんじゃないか思うと、いたたまれなくてぎゅーっと絞られた雑巾のような気持ちになっちゃう。(なんのこっちゃ)

でも、やさしくてやわらかい物って、自在に形を変えて飛んできた矢をひょいっと避けたりできるから、意外と強いのかも。彼はそんなしなやかな強さをもっているかも、いやそうでしかないでしょ!とも思ってみたり。そう考えると、なんだか力が湧いてくる。

ポジティブなことに時間を使ってください、と言ってたな。
ゆるーく平和に自由にやってほしい、とも言ってたな。

この言葉をガシっと受け止めて、かみしめて、Free Liveのお知らせをワクワクしながら待っていることにしようかな。

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