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書くことは読むこと

2024/3/2

こういうふうに文字を書いていると、思い出すことがある。
決して今でも何かを書くことは得意とは言わないがちゃんと好きだし、ある程度人生でも役立てている。
少なくとも、自主的にこうやって日記を書こうと思うくらいには。

でも、中学1年生くらいまでは文字を書くことが本当に苦手だった。
小学生のころは作文が苦手すぎて、わざわざ別教材を用意し練習をしていたくらいだ。しかし、それでも全く上達することはなかった。
たった原稿用紙1枚埋めるのに、丸1日以上かかっていたような気がする。

転機が訪れたのは、中学生にあがったころ。
友人の勧めで小説を読むようになったことだ。そこから、ジャンルを問わず本を読むようになり、気づけば本を読むことが日課になっていた。

本を読むようになって、変わったことが「言葉」の使い方と表現方法がわかるようになったこと。もちろん、考え方だったり著者の思い、知識なんかも身についたが、こと文章を書くことにおいては「文章の論理的構築」ができるようになった。

思い返せば作文が苦手だった時は、何を書けばいいのかではなく、どう書けばいいかがわからなかったように思う。
話をする時には自然にできている筋立てが、書くことになると急にできなくなっていた。
それはひとえに、書こうとする意識が強すぎたことにある。

話す時は、思ったことをそのまま話していて、仮に相手に伝わらなかったとしても、その場での修正が効く。
一方で、書いたものを読んでもらう際には、横で解説でもしない限り修正が効かない。つまり、相手に届いた時にはしっかりと伝わる形でなければならない。
それに必要なのが、しっかりと道筋を立てて文章を書くということ。つまり、文章の論理的構築になる。

他にも良い手法があるかもしれないが、私は本を読むようになって、つまりは他の人の文章構築を真似することで自然と身につけることができた。
好きな本を読んでいただけなので、個人的な感覚としては勝手に文章が書けるようになったのだ。

特にこれを実感したのが、中学の夏休みの宿題であった読書感想文だ。
中学1年生の時は全然ダメで、親に尻を叩かれながら5日間かけてようやく完成させた。しかも、評価は60点くらいだった。
中学2年生になると、1日で読書と感想文を書き終え、評価は満点。
中学3年生になると、外食した後に立ち寄った本屋で冒頭の30ページくらいしか読んでいない本の感想文を2時間くらいで書き終えた。
しかも、先生が満点以上を出す特殊な評価形態をしていたため評価としては130点がついた。

この間、特に何かをしていたということはなく、本当にただただ本を良く読むようになっただけだった。

もちろんプロの作家なんかを例に挙げてしまえば、そもそも好きだからその道のプロになったわけで、当然読書家だとは思うが、元々書くのが苦手だった私のようなタイプの実績があれば、「書くことは読むこと」と言えるのではないだろうか。

まあ、大学生の時に本をしばらく本を読まない時期が続いて、そのまま時間の取りづらい社会人になった結果、今はこの程度しか書けなくなってしまったのだが...。
でも、もし誰かに文章を書くアドバイスを求められれば間違いなく本を読むことをオススメする。

というわけで、本を読んでくるとしよう。

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