2016/11/20 BIGYUKI

雪が降った。

初雪が何月何日に降ったなんて、いちいち覚えちゃいないが、11月の降雪は実に50年以上ぶりのことらしい。
珍しい話ではあるが、それ以上でも以下でもない。

もし50年後に11月にまた雪が降ったとして、僕はこの朝のことをわざわざ思い出したりはしないだろう。

ともかく、窓の外に降り落ちる雪を眺めながら僕が気にしたのは、その雪がいつまで降るのか、積もるのか、ついては交通機関の乱れだった。

 ⛄

僕のもっとも古い、雪に関する記憶は幼稚園の卒園式の日。

雨が夜更け過ぎに雪に変わったのかは知らないが、その日は朝から厚く雪が積もり、園児の膝丈ほどになっていた。前を行く母の作った轍をあえて踏まず、まだ誰も踏み入っていない深い雪道を僕は小さな短い脚を上げ下げして進んでいた。「遅刻しちゃうよ」と母が言った。

それから暫く、いつしか僕は雪が降ることに喜びを覚えなくなった。
あんなに心躍った雪が、こんなにも煩わしく、厭わしく、憂いすら抱いて眺めるようになるとは、幼少期の僕がどうして想像できただろう。

1年のごく僅かな期間のみ、しかも一定の量を超えて初めてその楽しさを享受できる。毎年楽しめるとは限らない。
その限定的な娯楽性によって、雪遊びは子供たちのこの上ない冬の楽しみとなり、降り落ちる雪を眺めては積もることを一心に願う。

明日は校庭でクラスの皆と雪合戦だ。
雪だるまを作って、できればかまくらも作りたいなあ。

そのイメージにあるような立派なかまくらは作れないまま、それが叶うよりも先に年を重ね、子供たちは雪遊びから遠ざかっていく。

1年の内のごく僅かな期間のみ、しかも一定の量を超えなければその煩わしさを寄与されることはない。毎年嫌な思いをするとは限らない。
が、それでもその一定の量を超えたときの煩わしさを知っているがために、降り落ちる雪を眺めては積もらないことを一心に願う。

明日は無事に登校、出社できるだろうか。
遅延証明書をもらって、できれば自宅勤務したいなあ。

雪を憂うようになることは一種の大人の証明である、とまで言うと大げさだが、少なくともそこにはもう童心はない。

しかし、そんな雪でも大人の心を、それこそ童心以上に躍らせることがある。

そう……BIGYUKIだ。(!?)

 ⛄

BIGYUKIが来日した。

海外アーティストの前回来日が何月何日だったかなんて、いちいち覚えちゃいないが、彼が日本帰国は実に20年ぶりのことらしい。
このことについては珍しいとかどうとか以前の話で、それ以上でも以下でもない。

もし20年後にまたBIGYUKIが来日したとしたら、僕はこのことをわざわざ思い出すだろう。というか、むしろ20年も待たせないでください、毎年来てください、と今心から切に思っている。

ともかく、BIGYUKIのライブを眺めながら僕が気にしたのは、この素晴らしい時間がいつまで続くのか、終わってしまうのか、ついでに観客の反応だった。

去年、PCを買い替えたときにiTunesの移管をサボったせいで、iPodの更新がとどまり、とどめに子供が産まれたことでのんびり音楽を聴く時間が減り、新譜ならびに新人を漁る時間がめっきりなくなった。

そういう経緯もあって、もともと好きだったアーティストばかり聴くようになり、誠に失礼な話だが、BIGYUKIはSNS上に流れてきた「和製ロバート・グラスパー」という形容ひとつだけでライブに行くことを決め、肝心の音源は1秒たりとも聴いていないという具合だった。

せめてものお詫びの気持ちで(?)、音源を聴かない代わりに、彼に関する記事を漁った。

柳樂さんのインタビュー記事で彼の音楽に関する出自の概要を知り、あまり更新されていない彼自身のブログで活動の一部と人となりを垣間見、この動画で僕の大好きなグラスパーの彼に対する絶大な評価と信頼を知り、このインタビューでア・トライブ・コールド・クエストのレコーディングの様子や謙虚で慎重な人柄を伺ったかと思えば、バークリー留学中の唐木さんのブログや彼の友人知人と思しき方のインスタなどでおバカキャラと認知されていて、何とも魅力的な人だということが分かった。というか話の登場人物がどれもこれもBIGすぎてヤバい。豪雪地帯か。

他にもどこかのブログで彼に関する記述があって、自身のことをジャズプレイヤーとして捉えていない節、また、上記インタビューで明確に「ハートはベーシスト」と言っているあたりを見ると、音源がジャズから遠い印象を受けるのも自然ではあるのだが、なんせ今回、音源を全く聴かずにライブに臨んだものだから、ライブが始まったとき、それはそれは面食らった。

 ⛄

「今回、かなり音が大きいのであまり前の方だと人によっては辛いかもしれません」
ブルーノートの門戸を叩いて、こんなことを言われたのは初めてだった。

「和製ロバート・グラスパー」と形容されるくらいなので、言ってもそれなりにジャズ色が強いだろうと高を括っていたら、全然そんなことはなかった。もはやジャズじゃなかった。

セミロングの金髪を束ねて、色合いこそ落ち着いているが派手な柄(1stで遠目に和柄と思ったが2ndで近づいたらボタニカル風だった)の上着を纏った出で立ちは、まるでニューヨークからやってきた侍のようで、唐木さんの言うように、確かに伊勢谷友介に似ている。

ジャズを期待してジャズクラブに響いたサウンドは、クラブと言ってもクラブミュージックのようなリズムとサウンドで、ループエフェクターを使うことなく、人力でメロディをループさせ、ピアノ、ベースシンセ、キーボード等を駆使し、八面六臂、獅子奮迅、天下無双の怪演っぷり。

のっけから心を鷲掴みにされ、そのまま文字通り度肝を抜かれ、ズタズタに切られまくった。ジャズを期待して臨んだ人は合わないかもしれない。ただ、クラブミュージックが好きな人にはめちゃくちゃハマるのではないか。これはむしろブルーノートでなくて、ライブハウスやフェスで観たい。着席じゃなくてスタンディングで観たい!

そういう楽曲、演奏だった。BIGYUKIこの初来日公演を、それも1stと2nd両方とも観て良かった。将来、音楽好きの誰かに自慢することになるに違いない。(1stはWax Poetic Japan様に感謝)

終了後、残念ながら期待していたサイン会はなかったので、CDを買ってサインの取り置きを依頼した。LP出してくれないかなあ。

1年のごく僅かな時間のみ、しかも来日が決まって初めてその楽しさを享受できる。毎年楽しめるとは限らない。

その限定的な娯楽性によって、BIGYUKIは僕のこの上ない日々の楽しみとなり、降り落ちる雪を眺めてはもう憂うことなく、BIGYUKIを思い出し、再来日を一心に願う。

来年も無事に来日してくれるだろうか。
グラスパーや他のミュージシャンとの共演も観たいなあ。
ニューヨークだったらそういうことがままあるのにな。

しかし、そんなBIGYUKIを失った心を、それこそ彼以上に躍らせることが待っている。

そう……ロバート・グラスパー・トリオだ。(来月!)

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