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エゴン・シーレ ウィーンが生んだ若き天才@東京都美術館

今、東京都美術館でやっているエゴン・シーレ展(2023.1.26 - 4.9)。大阪住まいだが、エゴン・シーレ展を見に行きたい。関西方面に巡回するか調べてみたが、巡回はしないようだ。関東の友人に会いに行くという予定を作り、なんとか重い腰をあげて東京に行ってきた。
夜行バスとカプセルホテルで安上がりにしたから、とっても疲れた。帰りは新幹線使ったが、それでも私にはしんどい。今回は、東京でしか見れなかったが、ほとんど大きい展示は関西にもまわってきてくれるので、大阪で生まれ育ってるのは幸運だと実感した。

さて、東京まで時間もお金もかけてでも見たいと思ったエゴン・シーレ展、まずチラシが良かった。特に絵画に詳しいわけでもないので、エゴン・シーレの存在を知ったのはチラシでだ。
《ほおづきの実のある自画像》という絵が大胆に使われたチラシ。この絵の吸心力が凄い。挑発的な視線に、白を基調にいろんな色を塗り重ねた肌。エゴン・シーレ、何者?!それが知りたくて、展示会に足を運んだ。

チラシより《ほおづきの実のある自画像》

チラシは、裏にも同じ構図で《母と子》という絵があり、特に表も裏もないのだが、わたしにははっきりと、自画像の方が表だ。
《母と子》も目を見開く子どもがインパクトのある絵だが、これだけで、東京まで展示に行こうと思ったかどうかはわからない。

チラシより《母と子》

わたしは《ほおづきの実のある自画像》を見て、こんな絵を描くエゴン・シーレとは、いったい何者なのか、その思いに突き動かされて、展示を見に行った。
チラシに概要なども一切ないのも良かった。「ウィーンが生んだ若き天才」という副タイトルや日程、東京都美術館で開催することくらいしか書いてない。
このチラシを作った人たちの、エゴン・シーレの絵の力だけで、この絵を見たら展示に来たくなるだろうという思いが、もうすでに熱い。みんな、エゴン・シーレの絵の力を信じてる。そして実際にわたしは、この自画像に惹かれて、東京まで見に行った。

とはいえ、東京都美術館のチラシは同じような形式のチラシもあったので、エゴン・シーレ展に限らないようだ。それでも、やっぱり1枚の絵で、東京まで見に来させるのは、凄いことだと思う。

次回の展覧会のチラシ。
これも行きたい。

(まぁ、愛媛に住んでたときに、東博「縄文展」@東京や、大英博物館「マンガ展」@ロンドンに勢いで行くような人間ではある。)

では、展示の流れと一緒に、エゴン・シーレのことを知っていこう。

エゴン・シーレ展は全体として、地下から2階までの3フロアで14章に分けられていた。

まず、【第1章.エゴン・シーレ ウィーンが生んだ若き天才】で、エゴン・シーレの肖像写真や、まだ学生の頃の絵を展示している。

【第2章.ウィーン1900 グスタフ・クリムトとリングシュトラーゼ】では、エゴン・シーレに多大な影響を与え、実際に親交のあったクリムトらの絵が展示されている。
コロモン・ローザーのオーストリア記念切手のオリジナルスケッチが展示されており、切手という日常に使うものから芸術、美術を取り入れていくという考えが、この時代の芸術家たちにあったことを伝えている。

【第3章.ウィーン分離派の結成】では、カラーリトグラフで作られた「ウィーン分離派展」のポスターがずらり。のぼりのように縦長のものが多かった。どんなところに掲示していたのだろう?
ウィーン分離派とは、クリムトを中心に結成された芸術家たちのことである。

【第4章.クリムトとウィーンの風景画】、【第5章.コロマン・モーザー 万能の芸術家】、【第6章.リヒャルト・ゲルストル 表現主義の先駆者】と、同時代のエゴン・シーレにも影響を与えた作家たちの作品がレオポルド美術館所蔵のものを中心に展示されている。

【第7章.エゴン・シーレ アイデンティティの模索】で、チラシに使用されている《ほおづきの実のある自画像》が展示されている。思っていたよりも小さいサイズだった。この展示室には、他にも自画像が展示されており、その中の《抒情詩人(自画像)》が良かった。

「すべての芸術家は詩人でなければならない」

第7章壁面より

展示には章によってはエゴン・シーレの言葉が壁面に印字されているのだが、第7章はこのような言葉だった。エゴン・シーレは、詩人として、自己を見つめ、真実をつかむために、自画像を描いていたのだろうか。

【第8章.エゴン・シーレ 女性像】で、チラシの《母と子》が展示されている。チラシをみたときにはタイトルまで確認してなかったが、母だったのか…。目を見開いている子どもが印象的過ぎたのもあるが、母親には見えなかった。この絵も、小さめだった。

今までの展示作品で自画像など人物のイメージが強かったが、【第9章.エゴン・シーレ 風景画】で見た風景画も良かった。風景画といっても自然というよりは街並みの絵で、家々がのっぺり平面的に描かれていた。自然を描いている絵もあったが、枯れた一本の木がモチーフになっており、その存在感が強かった。枯れているのに。いや、枯れているからこそなのか。
また、第9章のみ写真撮影可で、撮影しても良い条件が整えば撮影OKにしてくれていた。

第9章の入口
平日の午前でも観覧者は常にこのくらいいて多い。
第9章の壁面に印字されているエゴン・シーレの言葉。

【第10章.オスカー・ココシュカ "野生の王"】、【第11章.エゴン・シーレと新芸術集団の仲間たち】、【第12章.ウィーンのサロン文化とパトロン】で、エゴン・シーレが活躍した時期の文化や思想がわかるようになっている。

【第13章.エゴン・シーレ 裸体】の展示場は部屋全体を黒にして、作品が浮かび上がるような展示になっていた。エロティックな絵を活かす、良い空間だった。

【第14章.エゴン・シーレ 新たな表現、早すぎる死】が最終章だ。ほとんどが女性が題材の絵だった。自身の妻をモデルにした《縞模様のドレスを着て座るエディト・シーレ》という作品がこの章に展示されており、座り込んで上目遣いで見上げている女性が描かれている。長くモデル兼恋人であったヴァリー・ノイツェルは、【第8章.エゴン・シーレ 女性像】に展示されていた《悲しみの女》で、自身の自画像と同様に美しさよりも内面を描写されていたが、妻であるエディト・シーレはただただ可愛く描かれていて、エゴン・シーレは2人に全く別の役割を求めていたのだと感じた。
最後に、絶筆となる《しゃがむ二人の女》が展示されている。描いている最中に亡くなったため、未完だ。とはいえ、ほとんどできており、全体像はみえている。恥部もあらわな三角座りをした2人の裸婦がこちらを見ている。
この絵が意味するところはわたしにはわからない。しかし、暗い色調で描かれることの多かった裸婦像が、《しゃがむ二人の女》にはない。明るい色調で、まっすぐにこちらを見つめている。

28歳の若さで世を去ったエゴン・シーレ。自己を見つめ、悩みながらも、短い一生を生き切ったのだと思う。

この展示に関わったすべての人に、感謝と敬意を。
そして、エゴン・シーレに愛を。

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