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番外編:不良中学生の休日(友人の部屋編)

本noteでの文章は私がディープな昭和-平成時代を連想しながら初めて書いている小説的な連載です。内容は全てフィクションであり、実在の人物や団体・店名などとは関係ありません。
"番外編"では本編と関係ない昭和・平成当時の思い出をノンフィクションも交えて更新しています。

自由奔放な不良中学生の休日

小学生時代、"ダンス甲子園"に衝撃を受けて以来、ダンスをすることに明け暮れていた僕が通っていた中学。
昭和-平成という時代背景もあり、ヤンキーが多い時代のヤンキーが多い学校に通っていた。

僕はダンススクールに通い出すことになり、大人に混ざって精一杯の背伸びをしながら夢中になれることを見つけて努力し始めるのだが、休日は同級生と群れて過ごす時間が気楽で心地良い。

僕は昔も今も自分の家に人が来るのが苦手で、自分の家に招くのは気心が知れた仲のメンバーだけだ。
だから休日に同級生と集まる時は、大抵友達の家に自転車で出かけて集まっていた。

多様性に満ちた友達

ヤンキー・パンクロッカーが多い僕らの校区。
中学2年になった僕らは、草野球などの屋外スポーツをする健康的な時間よりも、誰かの部屋やカラオケボックス・ゲームセンター等に男子生徒だけで集まって、くだらない時間を過ごすことの方が多かった。

そしてヤンキーの家に行けばヤンキー文化を学び、パンクロッカーの家に行けばパンク文化を学び、カラオケボックスでは美味くもない酒を飲んで歌い、ゲームセンターに行けば他校のヤンキーに絡まれる覚悟で、メダルゲームに精を出す。そして時に軽犯罪に手を染めるという、何とも忙しい休日だった。

友達の部屋

誰かの家に集まる時、その最低条件は"タバコを吸って良い家"であることだ。
それは両親が仕事で不在であるとか、タバコを黙認されている家であるとか、家によって事情は異なるが、僕らにとってタバコを吸うことは絶対条件であり、煙たくて目が痛い部屋で過ごすことが、どこかカッコいいと感じている今では考えられない"カッコ良さの定義"だ。

僕らがヤンキー感に浸れる部屋は、カズキという友達の部屋だった。

生粋のヤンキー"カズキ"の部屋

カズキは「カッちゃん」という相性で呼ばれており、三兄弟の末っ子である。上に2人の兄貴がいて、高校生の兄貴2人は単車の免許を取得し、自宅にはいつもヤンキー雑誌に出るような改造された単車が置いてある。

当時僕らの情報源と言えば、テレビ・雑誌・兄や姉など兄弟からの情報が主であり、カッちゃんの家には"チャンプロード"という雑誌と、少年ジャンプが山ほどある。

カッちゃんの部屋に入ると、どこから持ってきたのか分からないような"工事現場の看板"に、"バドワイザーやハイネケン"といったビールの空き缶、そして交通整理などに使われる三角コーン、さらには刺繍の入った特攻服などが所狭しと置かれている。
ちなみに工事現場にあるような看板は、もちろんパクって来たものだ。

こんなのが部屋にある

そんな中で僕らは美味しくもないビールを飲みながら、タバコを吸いまくって気分を悪くしながら、時にカッちゃんの兄さんからの情報も含めてヤンキー文化を学ぶ。

カッちゃんは生粋のヤンキーで、いつも裏地が紫の短ランと、ハイウエストなボンタンを履いているのが非常に似合っている。
いつも笑って穏やかであるが"絶対にキレたら最強だ"というのが、僕らの中の暗黙の了解になっていた。

みんなから好かれ、みんなから慕われて尊敬されている同級生イチのヤンキーだが、アタックNo.1の主人公"こずえちゃん"に恋をしており、部屋の工事現場の看板などのディスプレイに紛れて、"こずえちゃん"のポスターが貼っていたのを幼心に「かわいいな」と思っていた。

僕はカッちゃんから、小銭を使った毛抜きの方法や、剃り込みの仕方、メリケンサックなどの武器、そしてBOOWYなどの音楽を教わるのがとても大好きな時間だった。

余談だが、カッちゃんの兄貴があまりに有名な不良だったので、カッちゃんの友人でもある僕らが目立っていても上級生に文句を言われることがなく、自由に中学生生活を楽しめたのはカッちゃんのお蔭だ。

ヤンキーに憧れる金持ち"シュウ"の部屋

そして、よく読書的溜まり場になっていたのが、金持ちの"シュウ"という同級生の部屋。シュウは心底ヤンキーに憧れている金持ちで、高層マンションに住んでおり親父はフェラーリを持っていた。

何の仕事をしているかは知らないが、金があってヤンキーに憧れているシュウの部屋には山ほどヤンキー漫画がある。

"BAD BOYS"・"カメレオン"・"特攻の拓"・"今日から俺は"・"ビー・バップ・ハイスクール"と、僕ら世代の愛読書であるヤンキー漫画に"工業哀歌バレーボーイズ"という、少しギャグ風漫画。

僕らはよくここで読書の時間を楽しみながら、みんなで欲しい単車の話などに盛り上がっていたが、さすがに金持ちの高層マンション住まい。
部屋でのタバコは禁止されていたため、僕らはタバコを吸いたくなれば立ち入り禁止になっていた屋上に上がってタバコを吸っていた。

余談だが、金持ちのシュウはいつもピカピカで裏地が赤の短ランにボンタンを履いて、僕らの中ではインテリ風ヤンキーな存在だった。

パンクロッカー"オーくん"の部屋

そして僕ら自称ダンサー組もリスペクトしていた、パンクロッカー"オーくん"の部屋もまた面白い。
オーくんにはすでにライブハウスで人気となっているパンクロッカーの兄貴と、クソがつくほど美人な姉貴が居て、僕らはよく「姉ちゃんの風呂覗いたことある?」なんて、くらだない質問をしていた。

僕らが遊びに行った時にオーくんの姉さんに「こんにちは」と挨拶されるのが、ひとつの目的だと言っても過言ではないほどの美人で、いつも短いスカートを履いているロカビリー風なファッションが好きな人だった。

高い声を出す達人でもあり、カラオケボックスではよくXの歌を歌ってみんなを驚かせていた人気パンクロッカーの兄貴を持つオーくんは、中学生にしてLAUGHIN' NOSEのTシャツをよく着ており、制服時は黒いシンプルな短ランに細身のパンツを自前で縫って、Dr.Martinのブーツを履いて、ツンツンに尖った頭で通学するという、独自の制服の着こなしは天下一。

僕らに日本のパンクバンド、LAUGHIN' NOSEやCOBRAを教えてくれたのはオーくんで、それだけでなBob Marleyを教えてくれたのも彼だ。
中学2年、14歳で初体験を済ませ、僕ら不良仲間にエロのイロハを教えてくれたのは彼と彼の兄貴であり、みんなでエロ話を聞きながら「うぉぉぉ」とデカい声で叫びなら思春期を過ごしたのである。

ヤンキーもパンクロッカーも普通の子供

ヤンキー・パンクロッカー・ダンサーと、非常に濃いメンバーが集まっていた僕らの中学生活だが、みんなが集まればケラケラと子供のように笑い、楽しんだり、恋の話に盛り上がったりと、悪いことをしてはいるが純粋な子供なのだ。

そして濃いメンバーを中心とした僕らの仲間は、異常な団結力と行動力を持って周囲の校区でも独特な存在感を示しており、中学3年にもなると、その団結力で行動を起こすのだが、それはまたの機会に。

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