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マーケットの動き                     2024年3月30日(土)

小林製薬は前日比+190円。こんなときでも買う人がいるんだな。稼ぐつもりで買うのか、会社を支えるつもりで買うのか。株の売買できれいごとは言ってられない。一転、上昇すると思えば躊躇なく買うべきだろう。いや、そういう短期のトレードではなく、企業価値を現状の株価より高く見積もっている人は買うべきだろう。そうして適正な株価が形成される、つまりマーケットは正常に機能するわけだ。

私も小林製薬のサプリメントを常用しているし、多くの日本人にとって親しみのある企業だから、今回の事故は誠に残念である。もし自分が小林製薬の株を保有していたら、どうしただろう。寝耳に水のニュース、翌日の急落を全身で浴びてその後、私だったらどうしていただろう。

たぶん、というか必ず、慌てて売却する。パニック売りというやつだ。気が動転するのは、これはもう仕方がない。冷静でいられるわけがない。しかし結果として、それが唯一の正解だと思う。なにしろ、予見できる出来事ではないのだ。だから小林製薬の株を保有していたとして、それ自体は減点でもなんでもない。急落する、先が見えない、損切りする。この一連の流れは、私を律する鉄の掟である。よって売却以外の対応は、私には考えられない。

では、継続保持はルール違反かというとそうでもない。先行きは見通せないが、企業価値が一瞬で溶けてなくなったわけではない。技術力もブランドも販売網も残されているのだ。安く買えるチャンスが到来したと思うなら押し目買いもありだ。私はやらないけれど。

今回のような特定の銘柄だけでなく、マーケット全体を揺さぶるような事態もふくめて、不幸な出来事で株価が乱高下すると、買うのも売るのも、その背景にある社会性を想起せずにいられない。そうして「投資はきれいごとではない」と、ついそんな言葉を口にする。しかしこれ、素人時代の名残ですな。反省しましょう。素人に多少毛が生えてきた自分は、投資はきれいとか汚いとか、そういうものではないことを知っている。そもそも株式市場は、企業活動の評価という重要な機能を担っているのだ。それは市場に参加している私たち投資家の役割なのだ。もちろん、そんな責任感はこれっぽっちもなくて、頭の中はいかに稼ぐかでいっぱいなわけだが、結果として株価はその企業の価値を示すのである。企業価値とか市場の評価とか、社会の動きとかを読んで、上がると思えば買い、下がると思えば売らなければならない。休んではいけない。休めば稼げなくなる。利益を追求して売買を続けよう。そういう投資家の活動が、必要とされる事業領域に資金を流し込み、社会を前進させるのである。が、そんなことを考えず利益を出すための売買を繰り返そう。何をためらう必要があるのか。それが投資という仕事ではないか。どんなビジネスでも社会の出来事とつながっているのだ。ウクライナやガザ地区とつながっているのだ。小林製薬とどこかでつながっているのだ。

もっとも株式市場は、企業価値を判定する機能としては、不安定で、信頼性もいまいちである。株は美人コンテストだというけれど、人気投票の側面が強いので、話題に乗ると、票が集中する。また、未来の出来事なんて知りようがないのに、なぜかみんな予測したがる。だから、実際の企業価値に対して株価が乖離する。そういう市場の歪みを利用して、投資家は利益を得るわけだ。

というわけで

私の保有株も大きく歪んでいる。昨年末から3か月で60%も上昇した。これを歪みと言わずしてなんと言う。

全粒粉パンマンの株 244

日本株 18,014,900円
米国株   871,523円
現金       3,475,667円