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小説 ムジカ~それから

 ポータブルCDプレーヤーからは合唱曲が相変わらず聴こえる。聴き始めて、どのくらいの時間が経っただろうか。とっくに深夜と呼ばれる時間に達しているのだが、私は寝食を忘れて、合唱曲を聴き続けた。どんな空腹も合唱を聴くことで満たされ、どんな眠気も合唱曲を聴くことによって解消されていくのだった。
  

 アンサンブルコンテストから二か月以上が経ったある日、私は美穂子と再会することになった。その日はちょうど梅雨明けしたばかりで暑く、太陽を遮る雲がない青空の一日だった。

 コンクールが終わった後、私は幾度となく、電話をかけ、メールも送った。また、義母にも話し合いたいという思いを伝えた。それでも、芳しい返事が来ることはなく、上手くはぐらかされることばかりだった。

 ところが、七月に入って、美穂子から会いたいという内容の手紙が届いた。今まで頑なに会うことを拒んできた美穂子の急な心変わりに嫌な予感がした。それでも、話して納得ができるならと了承し、返事を書いた。ここまで、想いを込めて手紙を書くのは、独身の時以来だった。話し合いの場所は私たちの家だ。久しぶりに美穂子が帰ってくる、それだけで嬉しかったが、彼女の想いを想像すると、季節に似合わず薄ら寒い気持ちになった。

「とにかく会ってみないと分からないな」
そう独り言を言っても、返事をしてくれる相手はいない。私は梓に自分のことを話したことを思い出し、これまでの経緯をメールで送ることにした。すると、その日の夜に返信があった。
「久しぶり。話し合いになったんだね。とりあえず、そこまで漕ぎ着けて良かった。誠心誠意話して、悔いのないようにしてね」
短い文面だったが、梓の想いが伝わってくるようだった。

  話し合いの当日がやってきた。それに向けて、午前中は家の掃除をした。ゴミを仕分けし、家中の床に掃除機をかけた。一応、美穂子を迎える準備はできたはずである。そして、午後一時に美穂子の運転する車がガレージに入ってきた。一月に出て行ってから、約半年ぶりに家に帰ってきたのである。

 美穂子が玄関のドアを開ける前に、私がドアを開けた。
「おかえり」
私の挨拶を無視するように、家の奥に入っていった。荷物は小さなポーチ一つだけ。今日は実家に戻るつもりだろうか。

「飲み物入れようか?」
「いや、いらない。それより早速、本題に入りましょう」
どことなく他人行儀な態度に不安を感じる。
「色々考えたけど、まだ私たち三〇代前半でしょ。やり直しが効くと思うんだよね」
「それって、もしかして・・・」
「単刀直入に言うと、離婚しましょうということが言いたい」

 頭が真っ白になった。
「そんな、理由は何なんだよ。それを聞かなきゃ納得できない」
私は納得できず、叫ぶように言った。美穂子は苦笑しながら、
「理由聞いたところで、納得できないでしょ。それでもいいなら、聞かせてあげる」
と話し、足を組む。

 耳を塞ぎたかったが、聞く覚悟を決めた。

「まず子どもができないこと、これが致命的ね。あなたが役に立たないことが分かってしまったから。それからは、徐々にあなたのあらゆることが嫌になってきたの。大きな鼾、貧乏ゆすりに始まって、食事するところも顔洗うところも嫌いになっていって、しまいには一緒に暮らすのも拒否しだしたって訳」

言葉のラッシュにノックアウト寸前だったが、一発食らわせてやろうと試みた。

「それなら、人工授精とか手段はまだある。離婚なんて早まるな。話し合おう」
美穂子は私の捨て身のパンチをかわし、止めを刺す。
「もう手遅れ、あなたとの子どもを産みたくないの。それに離婚は去年から考えてたことだから。実家にいる間、何してたか知ってる?再就職に向けて、医療事務の勉強をしてたの。離婚してもある程度、自立できるようにね。だから何を言っても、もう遅い」

この話し合いはワンサイドゲームに終わりそうだ。
「じゃあ、もういいよ。そんなに離婚したいなら、そうすればいい」
完全に白旗を上げた。
「分かったら、もういい?お金の話はまた弁護士と相談してから連絡するから」
そう言うと封筒を残して、そそくさと家を出ていった。まるで私のことをお荷物だと言わんばかりの態度だ。

眩暈を起こしそうになりながらも、封筒の中身を確認してみることにした。中には、緑色で書かれた書類があった。離婚届だ。そこには、妻の名前と証人として彼女の両親の名前、そして印鑑が押されていた。

「終わった……」

私はそう呟くしかなかった。涙すら流れなかった。私は外に出て、悲しいほどに澄んだ青空を眺めた。出るのはため息ばかり。


 ポータブルプレーヤーから「斎太郎節」が聴こえてきた。あの日、コンクールの時にも、妻に離婚を言い渡された日にも流れなかった涙が止まらない。
 私のこの半年は何なのだろうか。仕事も家庭も上手くいかず、挙句両方とも失ってしまった。こんな私を救ってくれるのは、あのコンクールで掴んだ一種の仲間意識だけだった。今でも、
「エンヤー、エエ、エエエンヤー」
という音楽から始まるあの体験が自分を突き動かし、自分の血肉となっている。

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