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雨宿り(ちくま800字文学賞応募作品)

「また雨が降ってきたなぁ」

 僕は、朝に雨が降っていないからと小学校に傘を持って行かなかった自分を恨んだ。慌てて学校近くのタバコ屋の軒先に飛び込んだ。雨は凌げたが、雨脚は強くなる一方で、どうして帰ろうか思案していた。

 そこに、スーツを着た男が鞄を傘代わりにしながら、軒先にやってきた。男も朝の天気に騙されたのだろうか? そう思うと僕は勝手にシンパシーを感じずにはいられなかった。

「どけよ、タバコ買うから」

 苛立った口調で男に呟かれ、タバコ屋のカウンターの前に立っていた僕は慌てて場所を移動する。

「おばちゃん、マイルドセブンひとつ」

 男は千円札を差し出すと、それと引き換えにタバコとお釣りをおばちゃんから手渡された。僕はその様子を少し怯えながら見ていた。すると男が近寄ってきて、財布を取り出すと、

「これ使って、そこの公衆電話で家まで電話しろ。んでもって、迎えに来てもらえ」

 と言って、十円玉を僕に握らせた。咄嗟に断ろうと思ったのだが、男は何も言わずに立ち去ってしまった。

 家に帰ってから、僕がなぜ電話をかけられたのかを母親に問われた。正直にすべてを話すと、

「それなら、その男の人にお礼くらい言わないとダメだね」

 と母に𠮟られてしまった。

 その日以来、男を探したが、タバコ屋のおばちゃんは「あの男の人は初めて見たよ」と言った。クラスメイトにも話をしたが、皆が知らないと言った。そのうちに、男探しは暗礁に乗り上げてしまった。

 あれから30年経ち、小学生だった僕は大人になった。実家の角のタバコ屋は、おばちゃんの死とともに店を閉じた。店のあった場所を訪れると、そこに一人の老人が立っていた。もしかしてと思い、

「すみません、もしかして30年前にこの店に立ち寄って、小学生にお金を渡しませんでしたか?」

 と聞いてみた。

「俺はそんなこと覚えてないね」

 そう答える老人を見て、この人に違いないと確信した。

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