見出し画像

小説 ムジカ~合唱①

家の掃除は大掛かりなものになった。単に掃除機をかけ、埃を取るだけのはずが、不要になった品物が出てきたが為に、家中をひっくり返すことになってしまったのだ。ある物はゴミとして捨てることにし、またある物はフリマアプリで売ることにした。収入源が途絶えた中で、不要な物が売れれば、お金を得ることができる。
「さらに何かないか」
と、寝室のクローゼットの奥を漁っていたら、段ボール箱が出てきた。不要な物かと期待を持ちつつ、箱を開けてみた。中には、未開封のCDが入っていた。ジャケットには私の所属していた大学合唱団の名が書かれている。


 日曜日、朝九時三〇分。出勤と同じ三〇分前にひばり台駅南口にやってきた。ひばり台駅は新興の住宅地にある駅で、駅前にはファストフード店や大型の商業施設がある。バス停には何台もバスが停車していて、人通りが多い。東京の自由が丘や三軒茶屋ほどではないが、お洒落なカフェやブティックなどもある。

 それにしても、知った顔はまだ誰も来ていない。
「確かに南口だったよな」
と記憶を呼び起こして、再確認する。寒いので、近くのコンビニに入り、時間を潰すことにした。無駄に店内をウロウロしていると、見覚えのある顔が二つ並んでいた。
「おっ、黒ちゃんじゃん」
黒瀬と妻の梓だった。
「久しぶりだな、タナケン」
黒瀬が言うと、梓も
「タナケン、おはよう」
と挨拶をした。梓も同じ合唱サークルの同期なのだ。しかも、タナケンと呼ばれるのも久しぶりだった。今では大抵の人に「田中」と呼ばれる。だが、今日は「タナケン」と呼ばれ続けるだろう。私の心は学生の頃に戻っていた。

 それから一〇分と経たないうちに、次々とメンバーが集まってきた。中には夫婦同伴しかも子連れで来る者もいて、熱心なんだなと少し驚いた。でも、よく見てみると圧倒的に男が多い。男八人、女二人、子ども一人。
「あれ、パートバランスが悪いな。女声が少な過ぎる」
そこに武藤が口を挟んだ。
「何言ってるの、グリークラブだよ。伝説の男声合唱団『たかひろグリークラブ』の復活さ」

 平然と言い放った武藤の顔はどこか誇らしげであった。「たかひろグリークラブ」というのは、学生の頃に遊びで歌っていた男たちの集まりのことだ。ちなみに「たかひろ」というのは同級生の元カレの名前らしい。私はサークル活動以外の時間を研究やアルバイトに費やしていたので時間がなく、何となく距離を置いていたのだ。

 何でそんなところに入れてもらえたのかという私の疑問をよそに、後輩たち(先輩は一人も呼べなかったらしい)もテンション高く、
「たかひろグリークラブ、バンザイ!」
「目標は日本一のグリークラブ。まずは、かながわコーラスフェスティバルで優勝するぞ」
と盛り上がっている。水を差さないように、武藤に小声で聞いた。
「かながわコーラスフェスティバル?まさかアンサンブルコンテストに出場するのか?」
すると、
「そうだよ、目標がないと張り合いがないじゃん。という訳で、アンサンブルコンテストで優勝を目指します」
大丈夫かと不安になった。恥をかかなければいいのだが……

 練習は駅から歩いて数分のところにある公民館で行われるらしい。言われるがままに、みんなが歩いていく道を進む。

 六、七分くらい経っただろうか、公民館にしては立派な建物が見えてきた。どうやら、区役所に公民館が併設されているもののようだ。その建物に入り、四階まで昇ると公民館の施設になっていた。小会議室と書かれている欄の下に堂々と「たかひろグリークラブ」と書いてあった。多少の羞恥心を覚えつつも、そそくさと小会議室へ入っていった。

 荷物を床に置き、まずは長机を部屋の端に寄せ、パイプ椅子を一〇脚残して、残りはこれまた端に固めておいた。広くなった空間でまずは近況について話す。懐かしいメンツが集まったので、話は尽きなそうだ。

大体五分くらいしたところで、
「そしたら、声出しとくか」
と声がかかった。
「はい」
男ばかり八人が発声練習を行う。女子二人と子ども一人は練習を見守っている。いわば、マネージャーのような存在だが、後輩の女性が幼稚園くらいの子どもを連れてきてたから、子守りがメインになっていた。

 久しぶりに行う発声練習なので、腹から声が出ず、喉で鳴らしてしまい、喉が痛くなる。そんな中でも美穂子のことが気になって仕方なかった。声を出していても、気持ちはどこか上の空だった。気がついたら、発声練習は終わっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?