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Design→Architecture, Landscape Architecture, book, Writing

マガジン

  • アラサー百遍

    もう31歳です。勝手に好きなものをさっくりと語ります。

  • 気まぐれの詩

    書きたくなったときに詩を書きます。

  • 文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。

  • 私の建築感

最近の記事

#05アラサー百遍 風に当たること

風に当たるのは心地よい。山の上、駅のホーム、誰かのお家の前の庭、色んなところで風は吹いている。強すぎる風は体も気持ちも持っていかれる。けれども、ほどよく強い風はイイこともイヤなことも、さっきまでの自分の意識を吹き飛ばして、ただ風に当たる心地よさを与えてくれる。 風が肌に当たる感触、風でなびく木々のこすれる音、耳を通過していく、独特のゴーッという音、心地よい風は心地よい感覚を運んできてくれる。 その心地よさは無二であり、人に再現できるものではないように思う。複雑な条件をもとに

    • 寄り道が旅・イタリア、スイス旅行記 #0  ープロローグ

      どこにいこうか 2023年、2月、30歳になった。 そして3月に会社をやめることが決まった。 人生の一つの岐路に立った私だが、 真っ先に思ったのは、 「4月からどうしよう」「仕事どうしよう」 というよりも、 「旅行、どこ行こう」 だった。 仕事をしていると、設計の参考にするために、海外の建築やランドスケープの事例を多く参照することがあった。その度にまだいったことのない土地への憧れを思い出しては、んーいまは行けない、と気持ちを脇へ追いやっていた。 その願望を叶える時がきたと

      • #03アラサー百遍 夜

        夜たまに散歩にでる。単に夜仕事が終わって、少し体を動かしたいからと外に出る。 今日は満月から数日経った月齢で、月のウサギがウサギと認識できるギリギリの欠け具合であった。 大きく広がった雲が月を隠し、微妙に雲の厚みが薄いところから光が漏れている。そんな夜であった。 散歩のようなジョギングを切り上げた帰り道。ちょうど見やすい高さで、雲から月明かりが漏れていた。空は風が強いらしく、雲がどんどん流れていく。次第に雲が引いていき、月が現れた。明るく輝くも目に入れても痛くない程度の月

        • #04アラサー百遍 歩くことは楽しめるか1

          無駄なことなどあるのだろうか。いやない、とも言い切れない。 最高に無駄な時間がある。武蔵小杉駅の乗り換えである。 東横線、横須賀線を使ったことのある人は知っていると思うが、横須賀線から東横線に乗り換えようとすると、 エスカレーターを降りて地下道を通って、緩やかに上る動く歩道を登って、しばらく歩いて南武線のホームを抜けて、エスカレーターを登って改札くぐって、左に曲がってエスカレーターを降りて、改札くぐってまたエスカレーターを登って東横線のホームにようやく至る。 という15

        #05アラサー百遍 風に当たること

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        • アラサー百遍
          6本
        • 気まぐれの詩
          3本
        • 文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。
          4本
        • 私の建築感
          1本

        記事

          #01アラサー百遍 競馬について

          2023年 12月21日 18:38 みんな好きなものはあると思う。かつたくさんあると思う。 でも私の好きなものの多さではなかなか負けないと思う。その分どれにも時間が割けずに浅くなっているのが、解決しようと思わない日々の悩みである。 12月の末の土日のイベントは?、と聞かれて、なにを思い浮かべるだろう。私はクリスマスではなく有馬記念と答える。 ーーーーー 週末の有馬記念が近いので競馬について書こうと思う。初っ端からギャンブル。さっそくどうしようもない。幻滅した人もいる

          #01アラサー百遍 競馬について

          #02アラサー百遍 好きなものは登山

          登山というより山が好きである。山を楽しむのに登ることは必然ではなく、別に山を眺めているだけでもよいのだ。ちょっと郊外のキャンパスに通うときに背後に現れる雄大な稜線を見ているだけでも楽しいのである。 そして山に登ってまたべつの山を眺めていることが多い。山に登ると空は広かったり、植物は生い茂っていたりと色々見るものはあるが、総体として、色んな点で山というざっくりとした単位がいい。 少し前の11月に、前の職場の人たちと神奈川県の丹沢の塔ノ岳に登った。山頂がとても開けた山で、ふきっ

          #02アラサー百遍 好きなものは登山

          #00アラサー百遍

          なんでも良いので100遍投稿してみたい。とにかく書きたいのである。 働き始めて10ヶ月が経ち、1年になろうとしている。 学生時代はよく書いた。ツイッターに載せる毎週のゼミや本、展覧会の感想、誰にも見せない簡易な論考、ゼミで作った冊子、様々である。しかし修論を書き始めたあたりからどうにも書けなくなりつつあった。理由の1つは自信がなくなったことにある。大学での建築学科とは違い、大学院では文章を書くことに対して専門的な人や、とりわけ細かい人など、今まで私が書いてきたものとは比べもの

          #00アラサー百遍

          いつかへ潜る

          地下に潜る私たちは二人きり 別に恋ではない ただ楽しく話している いじけたり悔しがったり笑ったり 私たちの世界に潜っていく 駅は過ぎて行き 時も過ぎていく また改札を通り また地下に潜っていく いつの間にか日々は昔へ 今となってはない一時 思い出しては懐かしむ 昔そこにあった風景を置いていく 日々は過ぎていき 楽しみも過ぎていく 地下鉄は走っていく また別のところへ いつか降りた駅はもう通り過ぎている 日々に尾を引きながら 時をまたいで乗っている

          いつかへ潜る

          三十路手前になりまして

          自分はどちらかといえば正面からぶつかることしかできないのだと思う。正面からいって、だめだったり、避けられたりしたときのどうしようもなさはなかなか受け止めきれない。人間関係がスムーズに行くように工夫をすることもまた手段であるが、そういうことはしてこなかった。 ゆえにやり方もよくわかってないし、うまくやろうとするとうまくいかなかったりする。 なのでやはり正面からぶつかっていきたいと思う。 真っ直ぐ生きるとか、誠実に生きるとかではなく、間違いや上手くいかないことを受け入れてぶつかっ

          三十路手前になりまして

          さまざまに

          さまざまに、さまざまなことをなすことは われわれのこころをきずつける だれがしたいといったのか わたしがしたいといったのか ここにいる、しずかにたたずむ、ときをかんじる とぶひつようはなく、ただあるきもちをうけいれる、 とどまるのみ、それはそれでひとつのことをなしている。 2021年12月13日

          さまざまに

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。よ

          呼ぶときはおばあちゃん、おじいちゃんと呼ぶ。1人で思うときはばあちゃんとじいちゃんになりがちである。人に話すときは祖母と祖父である。 家に戻り夕飯を食べたと思う。 じいちゃんが眠る和室には隣の部屋から常に風が送られ冷やされていた。 何かをはぐらかすかのように香の匂いが充満していた。 その夜ダイニングでおばあちゃんの話を聞いたと思う。 最後に少しだけでも会いたかった。呼吸器はつけなかったそうだけれど、少しだけでも待ってくれれば、、、なんで私は入院してしまっていたんだ、少しで

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。よ

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。み

          昼飯を食べた。何を食べたかあまり思い出せない。押し寿司だっただろうか。その後しばらく寿司をよく食べることになる。好きな寿司に飽きるくらいに。 喪服を買いに行くことになった。 近い親戚が亡くなるのは初めてのことであった。喪服のない私と妹は母に連れられて、青い看板の服屋さんへ行く。 死んだじいさんが建てた先祖の墓にいく時に必ず通る大通りにあるロードサイドショップである。 これから先、あの時服を買った店だと思うことになる。 寝不足で眠すぎる私は後部座席で揺られた。 店に入るとす

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。み

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。に

          準備はどうするかとか、妹の調子がよくないとか色々あり、夜中に起きて家を出て、母と交代しながら車を走らせた。 三四郎のオールナイトニッポンを聞きながら走っていたので金曜日の夜だったと思う。途中からトンネルが多くなり聞こえなくなり、ブルートゥースで音楽を流した。何を聞いていたかはあまり思い出せない。 昼前に田舎の父の実家についた。ちょうど一日がたっていた。一ヶ月ぶりのじじばばの家である。これほど短い間で来るのは初めてであった。 車から荷物を運び、台所で何かをやっているばあちゃん

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。に

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。

          最近、仕事の先輩がポジティブな感じで、「ああ辛いなぁぁー」と言う。それを聞く度になぜか笑ってしまうのだけれど。自分もどうしようもないが頑張らねばならぬ時、そう思うことが増えてきた。(ちなみに仕事内容は楽しい。内容とは別の問題だ) そう思った時、不思議と初めて得た感情ではない気がした。家に帰りながらなんとなく思い出したのがおじいちゃんの葬式であった。 昨年の夏じいちゃんが亡くなった。お盆で病院にお見舞いに行ってから一ヶ月くらいたった暑い日であった。 もともと余命一年ほどで緩

          文章にするのは人に話しづらいことである。オチもない。

          詩「行く道」

          カタンゴンゴンゴン 排水の蓋を足で鳴らしながら歩いている。 小学校の桜がもうすぐ咲きそうである。 カタンゴンゴンゴン カーブミラーに僕の姿が写る。 カタンゴンゴンゴン 今日行くところは決まっている。明日行くところは決まっていない。 カタンゴンゴンゴン 駅へ向かっている。 中学生が走っていった。フォームがきれい。陸上部だろうか。 カタンゴンゴンゴン 春の暖かさを隣にぼくはあるく。 昔予備校へ向かった道は色々変わっている。 どこが変わったのか、それとも自分の見るところが

          詩「行く道」

          私の建築感1「天文台な部屋」

          なるべく普通のことを普通に書こうと思う。 石川研を卒業式して10日が経った。大学に泊まり込む日々が突然終わり、木造二階建てのチューダー様式風の実家にずっといる。家族との関係や部屋の綺麗さなど、自分の身の回りに対する解像度が日々高くなっているのを感じる。 私は部屋のエアコンを使わない。おそらく10年前に山登りを始めてから使っていない。また部屋の三面に窓がある南向きの部屋である。ゆえに外が暖かければ暖かく、寒ければ寒い気温変化の激しい部屋である。だからといって寒さや暑さを感

          私の建築感1「天文台な部屋」