見出し画像

愛するより愛されたいなんて

自分には甘えられる相手がいない。
それは家族の距離感がそんな感じだったから。
ベタベタするような関係ではなかった。

距離感の近い友人同士やグループ、恋人に甘える人などを見ると、
うらやましくもあり、気持ち悪さも感じる。

どうってことはない。
猫に対しては甘えているし、もしかしたら今後、自分を甘やかす存在に出会うかもしれない。
自分はつくづく子供だなと思う。
いまだに甘えたいのだ。愛されたいし、抱きしめられたいのだ。
だけど、そんな自分を出せなくて、甘えたくないふりをしている。


追っかけ時代のことを、また書くよ。

舞台関係の人の追っかけをしていた。
初めて彼に対面したとき、思ったより彼はクールだった。
恥ずかしがり屋の私が、直接声をかけに行ったのは、
彼が「ぜひ声をかけに来てね」とSNSで返信してくれたからだった。

ほんとうは怖い。
私なんかで良いのか?
どう頑張ってもすぐに痩せられない。
すぐに可愛くなれない。
私にできる最大限のオシャレをして出向いた。

でも、一瞬で感じ取った。
彼の「なんだ、君だったのか」という失望感。
私自身は、憧れの人に会って私が満足したからそれでいいと、その時は思っていた。

1か月ほど後、再び彼に声をかけに行った。
調子に乗ったわけではない。
彼は声をかけてもらえることで喜ぶ人だと思ったから。
その時には、悪質な勧誘をきっぱり断るような態度をとられた。
もちろん突然声をかけたわけではない。
事前予告もしたし、前と同じ場所。

そこから、
自分は可愛くないからダメなんだ、という思いが強くなった。
自分は可愛くないから愛されない

もとからそのような思いはあった。
同級生が恋愛を経験していく中で、自分は新しい友人さえ作ろうとしなかった。
恋愛以前の問題。人と接したくないという気持ち。
一生、恋愛をすることはない、子供も産むことはないと思うたび、全身が痺れた。


彼の"性"に刺さらなかったんだと、改めて感じたとき、
自分は女として成立していない気がした。
そこで彼に誘われていたら、私の理性が全力で断った気もする。
そんな軽い男であってほしくなかったし。

そう考えれば、どっちに転んでもだけど、そうじゃなくて、
彼に好意(恋愛感情に限らない)を持たれなかったことが悲しかった。
「ファンの子が声をかけてくれた!うれしい!ありがたい!」という気持ちが
一切感じられなかった。
ただ、「なんだ、この子か…思ってたのと違うな」という感じに見えた。
本人ではないから真実はわからないけど、そういう態度を私が読み取って傷ついた。



この頃の話は、noteのおかげで、かなり昇華した。
彼を追っかけていた時代は、楽しかった一時代と思えるようになった。

彼の存在があったから、つらい仕事も乗り越えられた。
つまらない親戚の集まりも、恋愛話で沸く友人たちとの時間も、
彼が心にいたから、スルーできた。

でも、本当は、彼"みたいな"人に、現実に迎えに来てほしかった。
(世界が違う彼とは決して付き合えないから、彼"みたいな"人。)

彼氏の話をする友人をうらやましく思わないほどに、
「私には彼がいるから大丈夫」と思いたかった。

今もそのような心持ちは変わらない。
隣の芝生が青く見えないぐらい、自分を愛してくれる存在を強く感じたい。


これを読んで、共感する人はいるのだろうか。
内的すぎる?
思い込みが強すぎるだけ、って感じ?

前にも同じようなことを書いたと思う。微妙に違うところがあるかもしれない。
それは、自分の中のイメージが薄くなってきたからでもあるし、
客観的に見られるようになったからでもある。
そして、すべて自分が悪かったと責め続けていたところを、
自分はこういう感情・考えを持って行動したから、悪いわけではないと、認められたからだと思う。


サポートありがとうございます。