硝子越しの出会い。
新宿は、雨だった。
9月になってから、不安定な天候がつづいている。
私は、買ったばかりの靴が濡れるのがイヤで、パッと目についた喫茶店に入って、雨宿りを決めこんだ。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、はたしてこの言葉はいつまで通用するのだろうか。
ほんの昨日まで、夏と言われても疑わない暑さだった。
ようやく今日になって涼しくなったから、なんとか彼岸までには涼しくなってくれたが、あと数年したら、彼岸過ぎても暑い日が来るのではないだろうか。
私が座っている席は、ガラス張りの席で、新宿の往来を眺めることができた。
土曜の午前11時の新宿は、そこそこ人がいた。
この「そこそこ」というあいまいな表現を、より具体的に表すのなら、5秒から10秒に1人、若しくは1組の人たちが、私の目の前を通り過ぎる・・・と書けば、伝わるだろうか。
都心にしては、わりと落ち着いている、と言えなくもない。
「お待たせいたしました」
私の頼んだホットコーヒーをソーサーに載せて、中年の痩せた店主が私の前にコーヒーをおいた。
私は、かるく会釈した。
さて、このコーヒー(¥800円)で、どこまで粘るか・・・。
そして、その間に、雨が止んでくれるとは言わないまでも、雨足が弱まってくれるだろうか。
新宿駅東南口を出たときは、降っていなかった雨が、歩いて1~2分でポツポツ降りはじめ、
(・・・きたな)
と、思っていたら、どんどん雨足が強くなってきたのだ。
あいにく、折りたたみの傘すら持っていなくて、どこかコンビニで買おうという気にもなれず、たまたま見かけた喫茶店に飛び込んだ。
(このコーヒー、一杯の値段で、傘ひとつ買うなんてできるのに…)という内心の突っ込みはあったが、たまたまの雨で偶然立ち寄る、という想定外による入店も乙なものだと思う。
こういうのもキッカケなのだ。
いつもだったら、通り過ぎてしまうお店も、雨が降ってきたから、という理由だけで入店する理由になるし、行ったことのないお店でも、なぜか入る勇気がわく。
私は、新宿に限らず、東京の繁華街を歩くのが好きだ。
よく「東京の人は冷たい」だのと聞くが、田舎から出てきた私からすれば、田舎の人間も充分冷たい、と感じる。
また「都心は緑がない」などと言った言葉も、必ずしも当てはまらない。
新宿には、誰もが知っている新宿御苑があるし、渋谷にも代々木公園がある。
ちょっと喧騒に疲れたら、自然豊かな場所なんていくらでもある。
いま、私が入っているような純喫茶も、都内には多い。
私は皆んな大好き、某大手コーヒーチェーン店などは、あまり得意ではない。
並ぶのが嫌だし、店内で格好つけてノートPCとか打っている人間を見るのも、なんとなく性に合わない。
こういう、気のおけない喫茶店が好きだ。
チェーン店より、高いけど…。
今日はレコード店でも見ていこうかと思っていたのだ。
東側から行って、西新宿まで、歩いてレコード店をぶらつく…。
なんとも、オシャレな時間の使いかたではないか。
(いいアイディアだ・・・)なんて思っていたら、雨。
こんな中でレコードを買って、外を歩いたら、レコードによくない気がする。
(さて、どうしたものか・・・)
コーヒーを口に運びながら、そんなことをボンヤリ思っていると、目の前、足元のガラス越しに、ヒョッコリと一匹の猫が顔を出した。
(あら・・・)
と、猫を見ると、猫も私を見た。
目が合った。
すると、その猫は私に向かって鳴いた。
ガラス越しだから、鳴き声はうっすらとしか聞こえなかったが。
(こんな所に猫?)
新宿をぶらついて長いが、猫なんて見るのは初めてだ。
繁華街から離れた公園とかなら分かるが、駅から歩いて数分の喫茶店で、猫なんて珍しい。
雑種だろうか、明るい茶色の縞模様の猫は、また私の方に顔を向けて、ガラス面に流れている雨水をペロペロ舐め始めた。
その姿が可愛くて、私はクスッと微笑んだ。
忙しない雨の新宿の喫茶店前にたたずむ、一匹の猫。
なんとも、詩情をさそう情景だ。
私はイスから立ち上がり、屈んで、猫の目線に合わせて、ガラス面を指でトントンと叩いた。
猫は私の指を見つめて、その部分のガラス面を舐めはじめた。
「ハハ」
と、思わず笑いが声に出た。
なんとも愛嬌のある仕草をする猫だ。
普通、猫は濡れるのを嫌がるはずなのに、この猫は濡れても構わないような顔で、私のいる店内を眺めている。
(気の毒に…。中に入れてあげたいくらいだ)
なんて、思っていると、猫はガラス面から離れてトコトコ…と、私の視界から遠ざかっていった。
(あ。行っちゃった)
時間にしてわずか30秒もないほどの、短い出会いだった。
(クルマに気をつけるんだよ)
と、私は思った。
まるで、思えば通じるかのように。
一人、中年男性のお客が店内に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
低い男性店員の声を聞きながら、私は飲みかけのコーヒーに口をつけた。
了
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