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不老不死とはなんだろう?

大河ドラマ『麒麟がくる』が始まりようやく新しい年が始まったかと思う今日このごろ(大分遅いような気がするけど、、、)

明智光秀関連のTVを見ているうちに、U-NEXTで歴史の番組を毎晩見る今日このごろ(日本のみならず)

もともと大学は史学科なので歴史は大好きだし、過去を知ることは今を生きる人間の義務でもあると思ってる。
部屋で香を焚きながら焼酎片手にぼぉーっとみていると、たまに出てくる〈不老不死〉という言葉。

フリーザ様を始め歴史上のあらゆる富や権力を手に入れたものが、最後に手に入れたい〈不老不死〉それを手にするために、あらゆる方法を使い彼らは探させ作らせた。それが水銀であったり賢者の石であったり仙丹であったりエリクサーであったりドラゴンボールであったりする。
時代や場所によって呼び方も形も違うものだけど、みんなそれを求めた。手に入らないものなのに。

『彼は冷凍されて、未来で蘇る』ウォルト・ディズニーが冷凍保存されて未来で蘇生される計画というのは有名な都市伝説でもあるけれど、これは不老不死ではないし、デイヴィット・ロックフェラーは死なないなんて言われてたりしなかったりしていたけれど、数年前に亡くなられたから不死ではなかったと証明された。

冷凍された肉体が幾度となく未来で蘇るのであれば、これは”ほぼ”不死みたいなものだけれど……。
ただ、不老ではない。〈不老不死〉は不老あっての不死という究極のエゴ。

たとえ不死であっても、老いていくのは耐え難い。そうなればやはり不老とセットでなければならない。

だれがこんなことを考えて言い出したのかは知らないけれど、今後どれだけ科学が発展しても〈不老不死〉なんてそんな夢物語はないだろうと思う(わからないけれど……)人間は欲望の塊なんだとつくづく思う。

今年の大河ドラマ主人公の明智光秀は死後400年以上経つが、僕たちの時代まで忘れられず影響を与えている。

それはある意味”不死”なのではないのか? そんなことを思ったりもする。
もちろん肉体的な死は確かなことではあるけれど、精神的魂的な死は迎えてはいないのではないかと、本当の死が訪れるのは、この世界に誰一人その人物を知る人間がいなくなったとき、そのとき初めて、本当の意味で死が訪れるのではないのかと……。

不死はある。

そんなことを考えた今日このごろ。

ちなみにフリーザ様は映画ブロリーで最新の願いが身長をちょっとだけ伸ばしたいと言ってましたね。
不老不死は諦めたんでしょうかね。。。


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