言わないんじゃなくて、言えない。
■言わないのではなく、言えない。言葉にできない。
人は思ったことを “ 言わない ” 人が多いのではなく、思ったことを “ 言葉にできない ” 人が多いのだと思う。
言わないのではなく、” 言えない ” のだ。
ここで言う、言えないとは、相手にどう思われるか?という恐怖の”言えない”ではなく、自分の気持ちや考えていることと、ぴったり当てはまる言葉が見つからなくて言えない、表現ができないから言えないっていうこと。
↓こんな感じ↓
表現したことがなく、なんて言えばいいのかわからない。
そのとき感じた喜びや怒り、悲しみ、切なさ
あらゆる感情を表現する言葉が見つからない。
「なんて言ったらいいの?」 って。
■日本語なのに、なんて言ったらいいかわからない。
外国に行ったり、外人に英語で道を聞かれたりすると「これは、英語でなんて言えばいいのだ?」と思うことがある。
それが日本に住んでいても、同じ日本人同士でも起こる。
日本語は話せるし、頭の中で「こういうメッセージを届けたい。」という想いもある。
だけどそのメッセージがうまく言葉にできない。
日本にいるのに、日本語が通じるのに、日本語が出てこない。
自分の気持ちとぴったり合う言葉が見つからない。
いうなれば、頭にイメージしている言葉が、
うまく日本語に翻訳できない状態。
僕たちは自分が日本語を話せると”思っている”。
思っていると言うのは、本当に話せているのだろうか?とふと思うことがあるからだ。
日本にいながらも、日本語に自分の気持ちをしっかりと翻訳できている(言葉にできている)のか?
感じていることを口から出せない。
翻訳できない。
■「好き」という言葉を知らなかったとしたら
頭で考えていることを、いざ口に出そうとすると、ぜんぜん違う言葉が出てきたりする。
例えば、極端な話だけど、言語として「嫌い」は知ってるけど「好き」は知らないとする。
そうすると、感情で大好きって”アタマの中で”感じているのに、口から出てくるとき言葉が見つからなくて、「それ、ダイキライ!」って言ってしまう。
ちげーわ、それちげーわ!
言葉に出した瞬間思う。
だが、時すでにおそし。
相手からは「あなたはそれ、きらいなんだね。」ってがっかりされる。
人は冷たく冷静。
言葉に出てきたとおりにジャッジするし、評価をする。
人は誰も他人のアタマの中をのぞくことができない。
ゆえに人は、その人から出てきた言葉で人を判断する。
その事実は変わらない。
気持ちがあれば伝わるって言う。
その”気持ち”ってなに?
本当にその気持ち、自分で正確に把握できてる?
だからこそ、自分が自分の表現したいことを
しっかり言葉に翻訳できるようにしないといけないと思う。
■言えた人が、勝ち
言ったもん勝ちって言葉があるけど、
本当にそのとおりだ。
正確に言うと言えたもん勝ち。
自分の気持ちを表現できたもん勝ち。
例えば同じ好きっていう気持ちをもっている人がいて、言葉にできる人とできない人がいたら、できる人の勝ち。
言葉にできない人が「私も好きと思ってたのに!」と思っていても、相手がテレパシー能力でも持っていない限り伝わらない。
■言葉は、可燃物。きちんと燃やす。
いくら好きという情熱をもっていたところで、好きという言葉を活用しないかぎり、
その情熱は燃やせない。
本人の中で情熱、言葉が燃えているような気がしているだけ。
本人の中だけで考えているだけの状態というのは、酸素の薄い場所で火を起こそうしている感じ。
酸素の薄いところでは燃えるものも燃えない。
頭の中はまさに宇宙空間みたいなもの。
宇宙でライターつけようとしても着かない。
宇宙にあるものを、酸素のある地球に持ってくる。頭の中にある真空状態の言葉を空気のある外に出して燃やす。
言葉にするっていうのは、自分や他人の目という空気に触れることで言葉という可燃物は、燃やすことができるし、燃やすことで自分の心に、相手の心に届く言葉となる。
言えるは、癒える。
言えるは、云える。
言えるは、射える。
だ。
だから言えないを言えるに変えることって
すごく大事。
しょーいち
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「言葉で心を掴む」
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