news zero炎上にみる日本人の他人寛容度

こんにちは。林です。

先日、日テレのNews zeroにメディアアーティストで筑波大学長補佐の落合陽一さんが出演されており、想像以上の反響があったので、その現象について考察してみました。

結果的にこれだけ話題になっているのは日テレの勝利と思わなくもないですが、その話題の中心が落合さんの服装、姿勢、口調、態度という、いかにも日本らしさ全開の事象です。

予定調和な報道番組が好きな方には受け入れがたかったかもしれないですが、私にはこれまでニュース番組に感じたことのないオープンな雰囲気が、面白かったです。有働さんのキャラクターも相まって。

炎上コメントをしている方々の多くは、

テレビ(公共の電波)に相応しくない服装
何かものを伝える姿勢じゃない
見ていてなんとなく不快
何言ってるか分からない

ということを仰っています。

まあ早口で理解が追いつかないのは分かります。発言の前提としている教養知識が一般的なコメンテーターとは領域も深さも違う感じでしたからね。

口調と態度については、私個人は特に思うところはありませんでした。
海外育ちのハーフタレントが敬語も使えずフラットな態度で大御所に接してバッシングされるのと同じ現象かなと。なんか偉そうってだけ。

日本文化のいいところでもあり、悪いところでもありますが、相手を敬う気持ちを口調と態度で表現すべきという美徳があります。
これ、英語なら表現しないし、お互いに尊重し合う存在なら、それはフラットになると思うんですよね。

視聴者自身が不快に思うものを、悪いものであると考えてしまうのは、倫理的な観点で言えば正しいけど、今回の問題はそれとは関係ない気がします。
日本人が大事にしてきた美德を壊しにきているという方もいましたが、美徳って何だろうと。

不快な感情の要因は、自らの経験則の中にある規範からはみ出ているものを見たからではないかと推測します。

報道番組に出る時は、大衆視聴者と同じような服を着なければいけない
コメンテーターという役割の人は、敬語を使わなければいけない
ニュース番組に出る時はまっすぐカメラ目線で背筋を伸ばさなければいけない
下駄は履くべきでない…
素足はだめ…

なぜそう思うのでしょうか?
なぜそれが必要なんでしょうか?

私も学校教育や会社ではそのように教えこまれてきましたし、TPOという言葉は完全にインストールされています。でもTPOは戦後に日本人がファッション文化を流行させるために考案したキャッチコピーで、問いの答えとしては本質的ではありません。

答えを自分で用意してしまいますが、
一言で言えば、無駄な情報が視覚的に入ってきてしまうと、正しくメッセージやニュースを伝えられないから。

今回はまさしく、ニュース内容より落合さんがフィーチャーされ過ぎ問題です。

でも、その視覚的な情報がノイズだと思う社会と、全く気にならない社会では、どちらが健全でしょうか。どちらが多様性に富んでいて、他人に優しい社会でしょうか。

また、報道番組とはそもそも、ただ世の中で起こっている事象を事実として伝えるためだけに存在している訳ではありません。

news zoroの概要欄を引用すれば、
みなさんの暮らしを良くするため、です。

今回の反響は落合さんの特異性を評価する人と、そうでない人がいますが、その現象自体が、日本社会のダイバーシティの低さを表している気がします。
こんなの、全く意に介さず気にならない社会がいい。そう思います。

日テレが意図したわけでは無いと思いますが、少なくとも落合さんの起用には、テレビユーザーではない人をターゲットにするということと、落合さんの発信するメッセージを取り上げたいという思いはあって、結果的に日本人の他人への寛容度の低さを問題提起する形になりました。

最後に、落合さんも愛用するヨウジヤマモトも出てくる洋服の歴史のコラムが参考になります。


人々が着ているものを見れば、その社会の価値観や構造を推察できると言っても過言ではないだろう
衣服は個人と社会の意識がせめぎ合う境界線。私たちは現代社会の「目論見」に、もう少し敏感になるべきかもしれない

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