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転勤族の子ども~その3 埼玉(蓮田)時代2

さて続けます。(ほとんど自己満足)

冒頭の写真は中2の頃、盆踊りにて。友人がすっかり仮面舞踏会?化していますが、年月がたっているとは言え、個人情報なので…いちおうお顔は隠しておきます。

埼玉県のH田市は、長く住んでいる方に聞けばわかりますが…大宮近くの割にホントにのどかで…私たちの住む町まで駅からバスが通った時には、もうみんな万歳三唱。駅前にモスバーガーができたと、友人から聞いたときは私はすでに兵庫に引っ越していましたが、「嘘~!」と市民だったころを思い出して狂喜乱舞(笑)でした。

それで中学の時は自転車通学をしていまして。片道25分。小学校が近かったのと好対照ですが、中学の新設校は建設が追い付いてなかったのです。
なので、われわれはマンモス校のK中に通うこととなりました。
それまで自転車に乗れなかった私は、親父に猛特訓を受けてなんとか乗れるようになりました。

自転車通学者には「交通安全教室」が課せられ、年一度校庭を通学路に見立てて、交通ルールが(手信号とか)守られているかチェックを受けるのですが、これが激むず…。私のようないい加減な人間は、4,5個✖がつきました。

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結果5週間ぐらい罰ルールとして、自転車通学は禁止され、片道1時間友人と待ち合わせて歩くという。早起きとか辛かったと思うんですけど、そうした苦い思いは残っておらず、自転車では友人ともしゃべることなく、黙々と通っていたので、ゆっくり語り合って帰れることは、大変楽しかった…といういい記憶のみ残っています。

マンモス校なので確かクラスは11個あり、あぶれた3クラスは急遽建てられたプレハブ校舎へ。夏は暑く冬は寒いと悪評で、しかも私は見事プレハブクラスに(苦笑)トイレはいわゆる「ぼっとん」だったんで、トイレ掃除もなかなか精神的につらいもんがありましたけど、「みんなでやれば怖くない」って感じだった気がします。

不器用な私は「のこぎり」もうまく使用できず、見かねた技術家庭の先生が、私の「植木鉢入れ」の課題をほとんど代わりに作ってくれたという逸話もあります。見かけはおっかなそうな先生でしたが、優しかった!
というかあまりの不器用さに見かねたというか、「こいつにやらせたら時間足りんわ」とさじを投げたのだと思いますが。鈴木先生、その節はありがとうございます。

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出典:https://item.rakuten.co.jp/asia-kobo/51169/

今思えば「若気の至り」にすぎませんが、友達ともくろんで担任へのささやかなる反抗?筆箱落としなどもしましたけど、幼かったですねぇとしか今は言いようがない💦

ってな感じです。まだもう少しつづきま~す(笑)




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