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地方に必要な選択肢があるという「価値」

選択肢がないというのは、怖いものです。

何かうまくいかなかった時、逃げ道というものがないからです。そうなると、もはや自分に合わないもの、うまくいかない場でどうにかするしかなくなりますが、どうにもならないこともあるわけです。

学校という場も典型的なその一つでしょう。私は別に学校に行っても行かなくても勉強もできるし、世の中の仕組みついては学校の外に出たほうがよく分かるとおもっています。が、未だにそれでも教育プログラムが「学校」という箱に拘束されてきていて、非常に高コストなそのモデルがために、地方に行けば行くほどにその数が減っています。人数が多くいて、高コストを支えられるだけの市場規模がある、財政規模が担保されるところにだけ、選択肢が多数用意されるという実態があります。

これで長らく苦労した方も多かったのではないかと思います。

一方でその選択肢を広げようとする動きについては、地方では未だに消極的でどうにも、過去のやり方、今までの場所の「箱」としての学校に皆がこだわり、結果として選択肢をどんどんなくしていってしまっているように思うのです。で、結局若い人たち、ファミリー層はどんどん出ていく。

結果として、都市部のほうが公教育としても挑戦がどんどん先鋭的になり、さらに私立や別の主体が新たな教育に取り組んでいます。23区のファミリー向け不動産は上がり続けています。

しかし本来は地方こそ選ばれる教育に積極的に投資すると共に、選択肢を増やすことによって、得られる未来がもっとあると思うのです。

とはいえ、教育投資とは既存の学校などの仕組みに単に金を配るということではなく、選択肢を増やす、運営方法やカリキュラム自由度を高めるなどやり方を変えないと意味はないのですが、そこがなかなか伝わらんところです。

○ 地元の教育システムで否定されても、活路がある今

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