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アルベルゴ・ディフィーゾ墓標〜すべての取り組みには良い部分と悪い部分がある当然の話に目を向けよう〜

日本では手放しで褒めすぎているというか、海外のいい事例は完璧だ、という幻想の一つがイタリアにおけるまちごとホテルの事業である、「アルベルゴ・ディフィーゾ」です。

とはいえ、あらゆる地域活性化事業ってのは2つの問題があります。

1つは評価の時間軸です。成功だといっても、それは1年でいうことか、5年でいうことか、といのがあります。極端な話地域や都市の盛衰成果って100年単位なんですよね。だからちょっとやりました人気でました、とかで数年だけでは正確な評価はできない。他よりも少し前にいったくらいの成功は言えますけど、それでもまちが根本的に変わっていくのには時間がかかるものです。

もう1つは、最初の一つの取組みはよいけど、横展開していく事例の場合には当然数が増えれば問題も同時に発生しているということです。どうしても全世界で成功事例の横展開ってのは好きなのですが、同じことを皆でやるってことは同じように見える取り組みでも必ず失敗も発生します。これは当然の話です。だから完璧なモデルみたいなものはないってことを前提にして、自分たちでアレンジしていく必要があります。

○ 観光まちづくりの落とし穴

この文脈で「まちごとホテル」みたいなコンセプトもどこも同じようなことを言い、イタリアのアルベルゴ・ディフィーゾの話をされたりします。しかしながら、これも良い事例もあれば、そうではない事例もあります。

特に観光まちづくりは要注意なのは、単なる観光産業しかなく、しかもそれが地域外の資本とかでも展開されて植民地化してしまうという場合すらあるので、単に人がたくさんきてよかったね、みたいな見た目とか、観光産業だけの評価では観光「まちづくり」にはならないということです。観光地として成果を収めていたとしてもそもそも地域外資本によってなされていて完全にまちそのものが商品化されてしまって生活の場ではなくなってしまいますからね。

沖縄とかも観光開発されていますが、県外資本ばかりが跋扈しているところもあり、ベース雇用の元になりはしても、高付加価値部分は県外のマネジャーとかが派遣されていたりして、なかなか県民所得を大幅に押し上げるところまで至っていない場合も多いわけです。倶知安の高付加価値コンドミニアムとかも海外基本がバリバリだったりするので、周辺所得含めて一気にあがるか、と言われると単純労働型の下働きとかが多くてそうもならなかったりするわけですね。

コロナでなかなか海外に行けないし、観光におけるオーバーツーリズム問題とかも忘れ去られたところですが、観光産業と生活産業、地元資本と外部資本とのバランスなどを含めて考える必要がある部分なのです。

日本でもこの数年話題のイタリアにおけるアルベルゴ・ディフィーゾにおいても当然ながら失敗はあります。3年前にイタリアににいった際に南イタリアに関連する書籍もかかれている中橋さんと回った中で感じた、アルベルゴ・ディフィーゾを展開する地域の中にある課題について整理したいと思います。その現場における悩みについても地元のマネジャーさんと話をして聞いたりしたので、そのあたりも含めまして。

中橋さんは随分前に日本にアルベルゴ・ディフィーゾを紹介した一人です。

別にアルベルゴ・ディフィーゾが悪いとかいうつもりはないのですが、調査レポートとかでも良いところ、悪いところ両面をちゃんと書くのではなく、むしろ業界団体でもてはやしている人ばかりがコラムを書くことで、いいことしか起きていないかのような理解をする人が増加しているのが問題だと思っています。

もっと中立で良いものもある、課題もある、ということをちゃんと学者とかシンクタンクは書いてほしいものです。

○ 衰退地域が人気がでたことで起きた、買収されたアルベルゴ・ディフィーゾ

その時に巡ったアルベルゴ・ディフィーゾの一つが、成果を収めた後に地域外の資本に買収され、そこでマネジャーを続けているけど、これが地域のためになるのか悩んでいる女性マネジャーの相談を受けるものでした。

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