【AIR】ソーシャルグッドとパーソナルバッド〜社会価値と自己犠牲の沼
地域での取り組みを見ている中で、「あーこれは無理が続いているな」というときの一つのシグナルとしてメッセージがあまりに「ソーシャルグッド」に傾きすぎているものがあります。
社会の持続可能性に向けて、絆をより大切にするために、といったようなお話はもちろんいいことなのですが、過剰にそれが全面に出しすぎた結果、事業としてはコストが高すぎたり、利益をとれなかったりすることが発生するんですね。それはそういうソーシャルグッドなメッセージに反応する人たちは善意の人たちが多いがために、事業やっている人たちが普通に利益を出そうとすれば「なんなの、色々といっていたけど、騙していたのね!」「金儲けのためにやっていたなんて!」といった批判にさらされるからです。
「これは採算度外視です」「地域の未来のためだからこれは我々のライフワークとして取り組みます(だから儲けはほぼなし」みたいなことをいうと、「素晴らしい!」「協力します」というようにソーシャルグッド層にはウケるんですね。が、これがとんでもない罠なのです。
こういう取り組みを続ければ当然ながら事業は詰んでいきますし、ソーシャルグッド(社会の得)のために、パーソナルバッド(個人の損)を被り続けることになっちまうわけです。
これでは社会的な取り組みの継続性以前に、取り組みそのものが継続しなくなってしまいます。
○ ソーシャルグッドとマーケット
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