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リーダーシップ以上に多くの人に問われるフォロワーシップ〜出る杭は外へ出ていく時代に地域で意識すべきこと〜

世の中においてリーダーシップの大切さは語られますし、私もとても大切だと思っていますが、誰もがリーダーになって活躍するわけではありません。そして別にリーダーでなくても、というよりは、リーダーではないからこそ活躍できるというポジションもあり、何事も適材適所でもあります。やはり支える人たちがいるからこそ、リーダーは活きるのは言うまでもありません。

で、そのようなリーダーシップと対比して語られるのは「フォロワーシップ」です。支える人のスタンス、その姿勢によってリーダーは活躍もできるし、潰されもします。

日本においてはどうにもリーダーとかを叩きたたき潰すということをフォロワーが行うことで、新たな目を摘んでいくことになったり、はたまた割りに合わないからと誰もリーダーになろうとしないという問題がかなり深刻になっているように思います。

最近の世の中みていても、何してもダメ出しで、評価をしないフォロワーがたくさんいますね。昨今の政局をみていても、「総理やめろ」といいつづけて、やめたらやめたで「無責任だ」と言い出す。結局は何をやっても気に入らないからといってイチャモンつけるような姿勢というのは、非常に不毛な社会を形成していくことになります。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの世界で話をしていたら、誰も坊主やらなくなるようなもんです。

まぁ気持ちは分からないでもないですが、厳しい評価をするならば、それだけの当事者として「自分だったらどうするか」というリーダーシップを意識した意見を持つべきとおもうところ。もしそれができないのであれば、少なくともサポートする前向きな意識でのフォロワーシップを意識しないと、社会そのものを破壊しかねないとおもうところです。

最近では心理的安全性という組織論での話が盛り上がっていますが、これはパワハラ型のリーダーシップということからリーダーが脱皮しなくてはならないことと同時に、実は多くの人に建設的なフォロワーシップが求められるということでもあるのです。

横暴なリーダーと我儘なフォロワーでは建設的な地域、組織、社会はできないのです。

○ 正しいフォロワーシップが変化を生み出す

そもそも社会構造を考えれば、全員がリーダーシップを持った上で、ある時はリーダーに、ある時にはフォロワーになっていくということがあれば自立的で健全な取り組みは増加するものです。なぜならば、上にたつ者としての責任感、孤独感というものを理解しなければ、様々な意思決定に物申すだけで建設的なお話はできません。

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