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年寄よりも”若者に”学ぶ合理性

儒教的社会思想のせいなのか、日本では年功序列、年寄優位の話があまり考えられずに適応されがちですが、学ぶべき年配者もいますが、学んではいけない年配者もいるのが現実です。

何よりサンデーモーニングのように世迷い言を同年代で語る与太話の時間というものは、地域の様々な会議でもよく見られるものであります。同質の同年代の人たちで、あれこれと話していると、時代との齟齬が全くわからなくなっていくというのはよくあるもので、反面教師として学ぶべきものはあるものの、あのような意見を参考に未来について考えることなど危険で全くもってできるものではありません。

地域の自治体などの公開会議などでも、大抵変な質問するのは元役場務めのOBの爺さんで、現役世代になにか高圧的な態度をとったりするものです。家庭や地域に居場所がないのかなとは思いますが、そのような晩節を送られている方に地域の未来について語れるはずもないことは言うまでもありません。

むしろこれからの未来にむけて話を聞くべきは、若者たちであり、自分より下の年齢こそリスペクトの対象としてみるべきことばかりです。年で何かを区切るならば、上よりも下に学べというのを強く思います。

概要についてはvoicyで本日配信しときましたが、振り込んでデータなどもとにしてテキストでもまとめておきます。

以前から言っているように、何か「どうせうちの地域はだめだ」といったようなことをいいづつける年寄というものは、まずは地元の若者にバトンを渡してほしいと強く思います。なぜか暇な老人に地域の役回りが回っていきますが、政治もある意味でそういうものになっていますけど、それでは全くもってよくならないのは言うまでもありません。

○ データでみればわかる、前提の時代背景が完全に違いすぎて全く参考にならないという事実

特に日本においては戦後の急成長と停滞、そして衰退というプロセスの中で、いい時代を生きた老人の経験は全く今の時代にも適合できていないし、さらに言えば未来についてはさらに無意味でしかありません。

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