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【AIR】なぜウォーカブルエリアは、稼ぐ都市作りにつながるか〜Stuttgart、Freiburg,NYCなどから考える、情緒性ではない経済的合理性〜

さて、ウォーカブルシティ政策というのがひとつの国交省の軸として打ち出されて、一部界隈では「おーようやくか!」みたいな話に盛り上がっています。

我々が取り組む公民連携事業においても道路利活用は結構王道でこれまでも多様に展開されてきました。今後より路面活用、いわゆるグランドレベルのあり方については議論されるわけですが、ここで大きなポイントがあると思っています。

特に日本も含めた先進国の都市計画の多くは「どう道路を作るか」を軸にして移転されてきたといっても過言ではないでしょう。区画整理はその権化ですが、都市計画道路と言われるように自動車時代にどう対応するか、という話が前提できたわけです。

日本も含めて先進国は都市は自動車産業に振り回されてきた

もともと都市に自動車が走行可能な道路を作り、そこに巨大なビルを建設して都市を形づくるというのは、ル・コルビュジエなどによって提案された都市計画「ヴォアザン計画」そのものとも言えます。

ヴォアザンとは航空機と高級自動車メーカーのガブリエル・ヴォアザンのことで、つまりはスポンサーは自動車メーカーだったという話でもあります。ま、ヴォアザンは経営が頓挫して後にシトロエンに買収されていくことになるわけですが、つまり都市にいかに自動車が入れる環境を作り出すか、が最前提にあったのはその当時の時代背景もあると言えます。

が、宇沢弘文による「自動車の社会的費用」にも出てくるように、なぜに自動車の会社の製品が必要とする自動車向けの道路を税金で作るようになったのか、というのを疑問視されています。考えてみれば確かに道路がなければ自動車なんか成立しないわけで、そのあたりは政治とも蜜月の関係にあったというのはアメリカにおいても同様。それだけ自動車産業というのは当時の急成長産業だったわけですよね。ま、今でも産業セクターとしては大きいですが。

しかし自動車が都市にあまりに進出しすぎた弊害はいくつも出てきます。

移動速度が速すぎる路面消費に非効率

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