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【ショート小説】イトスギ的な人生に

会社から帰ってきて、夕食を終え一息ついた私は、パソコンを立ち上げ副業のWebライティングの編集画面を開いた。

私は副業でWebライターをしている。いわゆる、「こたつ記事」ってやつを書く仕事だ。

幸いなことに、今勤めている会社はホワイト企業で残業は年に数回しかない。その代わり残業代は稼げない。同業の同年代としては悪くない給料だが、東京での一人暮らしには少々キツイ。

会社が副業を許可しているので、自宅でできるWebライターの仕事を始めた。週に3~4日、1日2時間ほど記事を書いている。

資料なども先方から全て渡されるので、そちらを参照しながら記事をまとめていくだけの仕事。文章を書くことはもともと得意なので、私にとっては比較的楽な副業だ。

同僚の中には、タクシーや代行運転の運転手、コンビニや居酒屋の店員をしている人もいるようだけど、仕事終わりに夜道の運転や接客で神経を使うのは身体が大変だと言っていた。

私は良い副業を見つけたと思う。

今日の分の仕事に取り掛かる前にSlackを確認する。修正依頼のメッセージが入っていた。「修正依頼」という言葉が目に飛び込んできて、胸の奥が冷たくなった。

メッセージの内容をよく確認してみる。先方から渡された資料に間違いがあり、私が書いた文章でもその部分が事実と異なるので、そこを修正してほしいというものだった。

先方のミスだとわかると、ホッとする反面、怒りが込み上げてきた。

何でだろう。ミスなんて誰でもするのに。今日、私も会社で何度かミスをした。すぐに自分で気がついて他の人にはバレなかったけど、当然、他の人に回ってから私のミスを指摘されることもある。

そんなときには、とてつもなく穴に入って消えてしまいたいくらいの気持ちになってしまう。私だってミスをする。だから、先方のその程度のミスくらい許してやれよ。憤る自分に、もう1人、穏健に済まそうとする自分が語りかける。

憤る自分は感情の自分で、穏健に語りかけているのは理性の自分だ。

でも、理性がいくら言い聞かせても、感情の自分はおさまらない。それでも仕事は進めなければいけない。理性の自分が冷静に返事を返して、修正に取り掛かる。

引用した部分と数字、その解説部分の記述を少し修正するだけだ。10分もかからずにできた。

先方に修正完了のメッセージを入れて、今日の分に取り掛かる。先方からの依頼内容と資料がまとめられたスプレッドーシートに目を通してから、資料を読み込む。そして、文章の構成を考えて記事を書く。

集中していたら、いつの間にか2時間が経っていた。スマホのアラームが鳴る。明日も仕事がある。記事はまだ途中だが、シャワーを浴びて寝ることにする。

***

ベッドに入り掛け布団を身体に掛ける。なかなか寝付けない。どうして私は自分のミスや修正依頼がこんなに嫌いなんだろう。同僚はみんな「そんなもの、言われた通り直せばいいだけじゃん」ってのほほんと言う。でも私は自分のミスが許せない。

子どもの頃のことが思い出される。母親は、私にちょっとのミスも許さなかった。テストは100点じゃなきゃダメ、受験は一番偏差値が高いところじゃなきゃダメ、宿題は完璧じゃなきゃダメ。習い事やスポーツも1番じゃなきゃダメ。

とにかく、ダメ!ダメ!ダメ!って言われっぱなしだった。

毎日、学校から帰ると母親は私のランドセルをひっくり返して、神経質にノートや小テストをチェックしていた。小テストでも1つでも間違いがあると、その部分を100回ノートに書かされたものだ。

ミスをしちゃダメ、とにかくダメ、ダメ!ダメ!ダメ!

そして最後は「だからあなたはダメなのよ!」って言葉で締めくくられる。

ダメ人間な私はとにかく目立たないように、ダメだって思われないように振る舞おうと気をつけていた。それがかえって周囲にはおかしく見えたみたいだ。

***

中学校に入ったら、私はクラス担任の攻撃対象となった。

クラス全員(私を除く)を盛り上げたい時、話の最後で「だから、田中みたいになんなよ~!」とか、私の名前を出して笑いを取る。クラスのみんなはそれでどっと笑う。

私は死にたくなるほど嫌だった。でも、そんなことを言っても誰もわかってはくれないはずだ。私はただただ唇を噛み締めながら下を向いて耐えるしかなかった。

バレー部でも、最悪なことにその担任が顧問だった。バレー部でも私をネタにしてクソ担任はみんなを盛り上げていた。

そんな雰囲気は、みんなに伝わる。私のことはどうからかってもいい、みんなそう思って、私のことを平気でいじめるようになった。

アタック練習の時、私のときだけわざと変なトスを上げられる。当然うまく打てない。みんなは私の失敗を見て笑う。担任はそんな私を見て怒鳴る。髪の毛を引っ張って体育館の隅に連れていき、日頃の鬱憤を晴らすように怒鳴りまくる。

ある時は、失敗した私の顔面に向かってボールを投げつけてきた。見えない角度から投げられたボールは、私の右目を直撃した。

眼の前が白く濁って見えづらくなったので、保健室に行こうとした。しかし、自分が投げつけたボールが当たったと言われることは流石にまずいと思ったのだろう。

いつもなら歩けるなら生徒の付添だけで、もしくは1人で行かせるのに、何故か担任は付いてきた。そして、私がボーッとしていて避けられなかったと言い放った。

親には担任にボールを投げつけられたと訴えたが、信じてもらえなかった。その場にいたバレー部の子が何人か自分の親に本当のことを言ってくれたみたいだけど、それを聞いてもうちの親は「あんたが悪いの」と言って、学校に抗議するわけでもなかった。

***

子どもの頃のことを思い出して、あの頃の親や学校の先生の対応が、今の私の自分のミスへの異常な恐怖を生み出しているんだと思い当たった。

そう考えているうちに、頭の中が怒りでいっぱいになってきた。あのクソ担任は今どうしているんだろうか?

私はスマホで検索してみた。クソ担任の名前で検索したら同姓同名の政治家が出てくる。地方が全く違うから、政治家に転身している、ということはないだろう。

次にクソ担任の名前に「●●県 教員」と付けて検索してみた。教員の人事異動の記事がいくつか出てきた。最新のものを確認してみる。

あのクソ担任、校長になっていた。今は実家の隣の隣の市にある中学校校長だ。私のことをあれだけいじめ倒しておいて、出世しているのかよ!

私の中に黒い気持ちが広がった。一度落としたパソコンの電源をもう一度入れる。クソ担任が校長をしている中学校名で検索してみる。公式ホームページの他に、裏サイトがいくつか見つかった。

その中で、最近一番盛り上がっている掲示板を選んで書き込んで見る。

「今、ここの校長しているSugar先生って、私が中学の時の担任だったよ。●●中学校。とっても教え方も上手で面白い先生だったけど、一つ気になることがあって。なんか、特定の子をひいきすることがあったんだよね。ひいきって、その子だけいい方向に特別扱いする、ってわけじゃなくて、反対なの。特定の子をターゲットにしていじって周りを盛り上げるって感じ。私もその子をいじって楽しんでいたけど、ターゲットにされていたTさんって、だんだんと暗くなっていって、いつも笑っていなくて泣きそうな顔をしていて、ちょっとかわいそうだったな。バレー部でTさんの顔面にわざとボールをぶつけて、目に大怪我も負わせたしね。大事にならなかったのは、どうやってもみ消したのか知らないけど笑笑。Sugar先生って、今じゃそんな事していないよね?」

佐藤先生だから、わかりやすい隠語にしてSugar(砂糖)にしてみた。目のことではちょっと先生やり過ぎって言ってくれていた子や親もいたみたいだから、私自身じゃないようにして書き込んでみる。

X(Twitter)を開き、普段使っているアカウントとは違う別アカウントを作成する。今書き込んだページのURLを貼って、Sugar先生が校長をしている中学校名と、教員異動の記事で見つけた今までの勤務校、私が通っていた中学校名のハッシュタグを付けて投稿する。

いくつか裏サイトやXやインスタの書き込みで探してみても、Sugar先生の悪口を書き込んでいる人はいないようだ。ちょっとこれで様子を見てみよう。

***

書き込みをしてから1週間ほどして、私はまた自分の書き込みを確認してみた。いくつかコメントが書き込まれていた。Sugar先生は私以外にも担任をしたクラスではターゲットを作っていたようだ。

ターゲットにされていた生徒や親からの書き込みだった。具体的にやられたことや言われたこと、恥ずかしいと思わされたことを書き込んでいる人もいた。

笑いを取るためにクラス全員の前でズボンを下ろされて、パンツの柄を笑われた、なんて男子の書き込みもあった。これは、異性間ならもちろんのこと、男性教師から男子にやっても、今の時代は完全にアウトだろう。

そうだ、私はまた思いついた。最初の書き込みと同じIPアドレスで同一人物だとバレると困るので、次の休みの日に、私は隣県まで出かけた。ネットカフェの個室に入る。パソコンを起動して、あの裏サイトを開く。

「私、●●中学校でSugar先生のターゲットにされていたTです。バレー部で目にボールを投げつけられて、視力が低下しました。その時の診断書は今も持っています。母が元教師で、大学の同期だったそうで、Sugar先生をかばって大事にされなかったんだと思います。視力低下の慰謝料ももらっていないと思います。授業中はいつもいじられて、笑いのターゲットにされて、死にたい気持ちでいっぱいでした。こんな先生が校長をしているなんて、この中学校も終わりですね」

Xも確認してみる。今、Sugar先生が校長をしている中学校のハッシュタグで検索すると、少しお祭り騒ぎになっていた。こんな人が校長で大丈夫なのかと。教育委員会に通報した、という書き込みもあった。

診断書は本当に実家から持ってきている。片目の視力が極端に悪くて配慮してもらわなければいけないことがあるので、その理由を言わなければいけないときのために持ってきているのだ。

自分が投下できるだけの燃料は投下した。あとは勝手に燃え盛ってくれ!

***

数週間後のある日の夜、実家の母親から電話がかかってきた。

「ねえ、あなた、佐藤先生の悪口、ネットに書き込んだの?佐藤先生、困っているんだけど」

「悪口じゃないよ、本当のことでしょう?」

「本当のことって、やっていいことと悪いことがあるでしょう。」

「佐藤先生が私にやったことや、お母さんが私を守ってくれなかったことは、やってよかったことなの?」

「そうじゃなくて、それはただの誤解でしょ?」

「誤解じゃないでしょう?私はあの人にみんなに笑いものにされて死にたくなって、今だって自殺願望抑えるのに苦労しているし、この目だってあの人のせいだもの」

「だから、それは、、、」

何かゴニョゴニョ言っているけれども、私は電話を切った。何を言っても、この人とは堂々巡りにしかならないことはわかっている。

***

私はXで静かに燃え盛るお祭り騒ぎをワクワクしながら見ていた。しばらくすると雑誌社の記者から電話がかかってきた。Sugarのいじめや目のことについて詳しい話が聞きたいと。

私は喜んでその人と会うことにした。当然、目の診断書も見せて。どんな風にSugarが私のことをダシにして笑いを取って、私の目がどうして悪くなったのか。思い出せる限りのことを私は語った。

その記者は、私が通っていた中学校の隣の市の出身者ということで、地元にツテがあるとのことだった。

その後、私の同級生やバレー部だった人にも話を聞いて、私が語ったことが本当にあったことだと確信したらしい。

この話を記事にして発表してもいいかと聞かれたので、私はどうぞご自由に、と伝えた。

インタビューを受けてから数ヶ月後、今度はSugarから電話がかかってきた。

記者にもそうだが、母親が携帯番号を教えたらしい。勝手に電話番号を教えないで、相手の電話番号を聞いてこっちに伝えるように言っているのに、私の個人情報なんかはあの人はどうでもいいらしい。

「お前、何勝手なこと書き込んでるんだよ!」

「勝手なことって、本当に先生が私にやったことでしょう?性的なものじゃないから大丈夫ですよ。」

「いや、教育委員会から呼び出されているんだよ」

「へえ、だからなんですか?」

「お前らが話した余計なことが記事になって出るって、教育委員会に雑誌社から連絡があったそうだ。詳しい話を聞きたいって言われているんだ。」

「あ~あ、あのことですか。まあ、今、学校のニュースで一番問題になっているのは性的な暴力だし、先生のは性的じゃないから、大丈夫じゃないですか?」

私はとぼけて話をかわそうとした。

「取り下げろ」

「え?何をです?」

「あの記事の内容は嘘だと今から取り下げろ。じゃないと、俺がクビになる。」

「だって、先生が本当にしたことじゃないですか。私の話だけなら信憑性もないけど、他の人も証言しているって言うし。」

「だから、お前が取り下げればいいんだよ!」

「そんな事するわけないでしょう。切りますよ。それじゃさようなら」

私は電話を切って、かかってきた電話番号を着信拒否設定にした。

それから数日後、ニュースサイトにその記事が掲載された。雑誌にも掲載されたようだ。

目線が入っていたけれども、Sugarの写真も載っている。今の学校名も入っているから、わかる人にはSugarだってわかる記事だ。

読んでみたら、本当に何人か同級生が証言してくれていた。自分たちも先生がTさんをいじるのを楽しんでいたけど、今、子どもを持つようになったら、彼女に酷いことをしたと感じている。もしも自分の子どもが担任から同じ目にあったら辛すぎるとのこと。

私の他にも、ターゲットにされていた元生徒や親のインタビューと、同級生の証言もあった。

私はその記事を読んで嬉しくなった。私の苦しみを今になって、少しでも理解してくれる人がいてくれたことにホッとした。

記事が掲載されてから数ヶ月後の夕方、会社が入っているオフィスビルのエレベーターで1階ロビーに降りると、Sugarがいた。Sugarは私を見ると顔を真っ赤にして怒りの形相で近寄ってきた。

「てめーのせいで!」

そういうと、Sugarはカバンから包丁を取り出して、私の胸に突き立てた。

え?なんで?刺されたの?

痛みも感じない。包丁の刃は私の心臓を貫いた。意識が薄れていく。

なんで?私の人生、ここで、終・わ・る・の?

人生の全てがフラッシュバックして最期に実際には見たこともないイトスギの姿が頭に浮かんだ。自殺願望がひどかった時に見つけた花言葉「死」「絶望」の木だ。私の人生は、イトスギの花言葉の中に飲み込まれて終わる。。。だけだ。


この物語の佐藤先生視点はこちらです(もうできているので、たぶんいつか公開します。)


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