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家を持つことの意味って?兵どもが夢の跡って感じてしまうこと

(この記事のトップ画像はフリー素材です。)

ここ数年、空き家問題というのが大きな社会問題になりつつあるという。

私は、健康のために、できる限り毎日近所をウォーキング?散歩?徘徊?するようにしているが、歩いていると郊外の住宅地にある我が家の近辺でも、誰も住まなくなってしまった空き家が目立つのを感じる。

不思議なもので、高齢の一人暮らしで、庭の手入れが行き届かなくなったような家でも、誰かが住んでいると、明らかに空き家とは違う雰囲気をまとっている。

庭の草が伸び放題でも、家の玄関や窓を見ると、確かに人が住んでいる気配があるのだ。

ところが、空き家になってしまうと、庭が荒れ放題になるのは当然のこと、敗れた障子やごちゃごちゃになった家具、カーテンのかかっていない窓、何年も空いたところを見たことがない風雨で色あせた雨戸など、どう考えても人の生活の気配が全く見えなくなってしまうのは、不思議なものだ。

もっと不思議だと思うことは、一昔前に整備された住宅街や、江戸時代とかから続く街や村では、少子高齢化で過疎が進み、空き家がどんどんと増えているのに、新しい土地が開発されて、新しいマンションや一戸建てがどんどんと新築されていることだ。

マンションや新住宅地の近くでは、この厳しい少子化の時代にあって、小学校の受け入れ体制が整わずに、教室の増設や、学校の新設が進んでいるという。

でも、新しく開発された住宅街と新設された小学校を見ていると、20年後か30年後、この小学校も急激な生徒減少に見舞われるのだろうな、と感じてしまう。

新しく開発されている住宅の多くは土地が狭く、2世帯同居、3世帯同居はどう考えて無理だろう。ということは、将来的に子どもが独立したら、新しい家族とともに帰ってきて親と同居、という可能性はほとんどない。

子どもが20歳を超えて独立したら、やがて夫婦2人だけになり、年老いて、介護問題を抱えるようになる。その後は夫婦2人とも旅立ち、その家はどうなるのだろうか?

大都市圏の郊外にある我が家の近所で新築される土地は、それまで1軒の家が建っていた土地を3軒から4軒分に分割したところが多い。家が建っている土地はとても狭く、次の世代の人が魅力的に感じる土地とはとても思えない。

隣の家の土地と合わせて1軒分の土地にしようとしても、一度分割して赤の他人に売却してしまったものは、よほど両家のタイミングがピッタリ合わなければ、また1つにまとめるのは無理なことだろう。

家を買ったときには、おそらく夢と希望に満ち溢れているだろうが、もしも、数十年後、その家を継ぐ人が現れなければ、うまく土地を売却できなければ、子孫に大きな負担だけを強いる負動産になってしまう可能性が拭えないような気がする。

私も若い頃は全く気が付かなかったが、亡夫と結婚して夫の実家に入ったときには、義父も健在で、子どもが生まれて、将来的に夫の実家が負動産になる可能性など微塵も感じていなかった。

しかし、義父と夫が亡くなり、義母が介護施設に入り、子どもも独立して、自分ひとりになり、これから先、この大きく老朽化だけが進む家をどうしたらいいのか、正直持て余している。

子どもに継がせても、子どもが将来ここに戻ってくる保証はない。他の地域に就職してしまったら、永遠に戻ってこない可能性もある。

今住んでいる亡夫の実家だけならまだしも、自分が生まれた実家がどうなるのか、といった問題もある。親がまだ住んでいるが、親亡き後はどうしたらいいのだろうか?今さら、遠方に嫁いだ私が戻ることもない。

他に出た兄弟が戻る可能性も少ない。兄弟の子どもたちの誰かがほしいと言ってくれればいいが、その可能性はあるのだろうか?

近所でどんどんと造成されていく新築物件を眺めつつ、我が家の不動産を将来的に負動産にしないためにはどうしたらいいのか悩みつつ、この土地を、「兵どもが夢の跡」にして、子どもたちに迷惑をかけたくないと、つくづく思うのである。

また、土地開発といってどんどんと新しい土地を切り開いて新しい住宅が新築され続けているが、人が住まなくなった土地を再度整備し直して、そこに新しい住人を誘導して、その地域の過疎化を防止する、という考えで、子どもが適切に分散されるような方策も必要ではないかと思うが、いかがだろうか?

(このような内容の記事を書いていても、現在はまだ住んでいます。不動産売却の話などは一切持ってこられないようにお願いします。)

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