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なんで自分が生きてるのかな?なんて……

アラフィフまできて、なんで自分なんかがこの齢まで生きられたのかな?って最近とっても不思議に思う。

先天性の疾患を持って生まれて、子供の頃に手術をして、そのためか妙に体力なくてしんどいのに、周りに理解してもらえなかったり、何をやってもうまくいかなかったりした。

今から考えると、体力から考えたらかなり無謀な人生を歩いてきたのかもしれない。

でも、今、虚弱体質からのしんどさみたいなものは抱えながらも、なんとか子どもを後もう少しでゴールだってところまで育て上げることができた。

ここ数年は、やっと自分の生活の適正サイズを見つけられて、余裕はないけれどもかなり気楽に生活している。

若い頃は精神的に自分で自分を追い詰めすぎてひどい自殺願望に襲われた事もあったけど、あまり精神科や心療内科のお世話にならなくても、最近はそんなこともなくなってきた。

私は地方の公立進学校出身だけど、高校時代は今の時代だったらスクールカーストの最底辺で沈み込んでいたような存在だった。

勉強も部活も文化祭も、全部が全部全力疾走!みんな着いてきて当たり前だろう!って、キラッキラな生徒たちが多い学校で、私は友だちは作れず、目立ったことはできず、ただただ時間が経つのをじーっと耐え忍んでいるような感じで卒業までを過ごしていた。

なんであんなにしんどかったのか、って考えてみると、体力的にかなり無理していたことが一番なんだろうな、って思う。

幸いにも大学まで不登校にならずに学校は卒業したけど、その後の人生は???

まあ、そこには触れないでおく。

でも、こんな虚弱体質で精神的に不安定な時期が多かった私が、50歳まで生きてきた。でも、同じ高校で無茶苦茶キラッキラしていた人が、30代でガンで亡くなっているのを考えると、なんで自分がここまで生き延びられてきたのか、不思議に思う。

もちろん、同級生のほとんどはまだまだ存命だけどね。

それでも、しんどい、しんどい、死にたい、死にたい、ってずっと思ってきて、世の中のためになることなんか全然できていない自分が今まだここにいて、社会のためにって頑張っていた彼女らが早逝していることを考えると、神様ってやっぱり不公平だな、って思えてくる。

まあ、後どれだけの命を与えられているかわからないし、世のため人のためになるような何かが、これからできるとも思わないけど、せめて家族のためだけでも、もうちょっとだけ頑張っていこうかと思う。


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