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田中一村展 奄美の光 魂の絵画(東京都美術館)

いやはやこんなに圧倒された企画展は久しぶりだ🍍 今年最大かつ再驚の回顧展ではないだろうか。巡回はしないと思うのでもう一度来ようかな。後期に入れ替えもあるらしいし。


数年前佐川美術館で回顧展があったらしい(千葉市立美術館でも)。その時はこの人のこと知らなかったのでまったく見逃していた。奄美に記念館があるのでそこまでいかなきゃいけないのかなと思っていたところに東京にやってきてくれたよありがとうコイケさん(?)🍍

日時指定で朝イチの上野。開場前すでに並んでいる。

撮影はすべて不可。

美術館の入ってすぐの作品群はひとが滞留するし、初期作品はまだ未熟でおもしろくないものも多いのでちょっと飛ばして先に進むことにしている。最初からじっくりペースで進むと肝心な後半で疲れちゃうしね。今日もチラッとみた限りではやっぱりそんなよさげに見えなかったし。

ふらふら進んでいって最初に目についたのが衝立絵。表裏両面に絵が描いてある。

《蘭竹図/富貴図衝立》
昭和4年(1929)2月 絹本金地墨画・着色 個人蔵

どっちがうらかおもてか知らないが白黒と華やかな方がある。総天然色側は牡丹の花が荒れ狂う。周りには蝶々やら蜂(虻?)やらが舞う。牡丹の花々の中にある緑のビラビラはなんだろう? 花瓶? 山?

鈴木其一みたいな極楽浄土天上感。禅の思想にまつわるものがあるのかな。琳派への意識もあるんだろうな。

こういうのはヨーロッパの人たちにもなにかしら感じさせるものがあるのか、フランスのアール・ヌーヴォーの作家たちが真似をした図案だね。

白黒の方は枯れた味わい。私なんかが見たらただののっぱらにしか見えないがこれもなにか深い境地があるのかな。左上に書かれた漢字ばっかの文字列はなんだろう?漢詩? 達筆だ(酷い感想)

で、(別の作品のことだが)「これ17歳の作品かよ…」とか話しているのが聞こえた。ん?そこで気付いた。私がすっ飛ばした最初に並べられた作品はみんな10代あるいはもっと若い頃に描かれたの?? 立派な山水画とかも?

慌てて最初に戻る。よくよく見返すとこりゃたしかに神童だ…。すごい天才、村山槐多もびっくり。さっきの衝立もファンクラブみたいな後援会(田中米邨画伯賛奨会!)の個人蔵みたいだし、まだ若い頃にそんなファンクラブが出来てるなんて生前ちっとも無名ではないじゃないか。

その後もすんばらしい作品が続く。描くテーマも技法も種々様々。これまで美術館で何点か一村作品を見たことがあるが、ちょっと画想というかパターンが見えてしまって小さくまとまってないかなと感じていた。ひとりで描いてるとそうなるのかなあと。

ところがその全貌?を見ると実際はなんと芳醇なアイディアを持ちあれこれシン・表現をしていたことか。もうジャンピング土下座である。生意気言ってすいませんでしたっ!床に頭スリスリ。

一村には奄美のゴーギャンとかルソーだかみたいなキャッチフレーズがあったけどそんな感じはまったく受けないな。異端でもヘタウマでもなくちゃんとした正統派だよ。

数も多くクオリティも高い。なんでこんなひとが「生前はまったく無名」だったのか? ちゃんと美術学校も通っていたし、まったくアウトサイダーではない。

だが最初に一村さんのことを知ったのはアウトサイダーアートとして。無名の日本画家がNHK日曜美術館で紹介されて一気に知名度が上がりフィーバーしたとかこの本で読んだ。

東京美術学校(同期に東山魁夷がいたそうな!)を病で中退してしまった田中一村氏は、独学で絵の技法を云々言われるが、画家って美術学校を卒業した後はみんな独学じゃないのかね? ずっとお師匠さんに仕えて一子相伝の技を教えてもらうの?日本画はもしかしたらそんな世界なのかも知れないが。

やっぱり画壇の長老に歯向かったりして干されたとかなんだろうか? 狭い業界だろうからね。横山大観さんも風雲児だったけど一線にいたのはなんか偉い人の後ろ盾でもあったのかな。いやねオトナって(個人の感想です)。

あるいはやはり爪弾きにされた藤田嗣治さんみたいに海外に出るとかした方が良かったのかもしれない。経済的な問題もあっただろうけどね。

(中央にて絵で成功するに)学閥と金と外交手腕が必要。私にあるのは絵の実力だけ(田中一村 知人へ向けた手紙)

NHK日曜美術館 美と風土 黒潮の画譜 〜異端の画家 田中一村〜 1984年

🍍🍍🍍

《日廻草》昭和2年(1927)8月

要するにひまわり。枯れた味わい。エゴン・シーレがこんなひまわり描いてたな。ゴッホと違い退廃してた🌻


《秋色》

同じ題名で二作展示。展示リストで制作年が「1930年代半ば」と「昭和10年代」となっている。西暦と昭和とどっちかにしなよw。

それはともかく秋の色の取り合わせがよい。枯れ葉と木幹のシンフォニーや!テュルリラテュルリラ〜♬🍁

こうした奄美以前の作品もとてもよい。というかこっちの方が好きかも。

特にでっかい障壁画三連発を座って眺められるコーナーなんか1日中見ていたい素晴らしさ。

三作三様、長谷川等伯風あり《千山競秀図》(昭和20年代半ば)、山水画《乾坤一艸亭図》(昭和20年代半ば)あり、一本一本独立した別の種類の菊の花(全部種類が違う)《菊花図》(昭和23年(1948)頃)あり、それぞれ別のテイストで楽しめる。芸達者だよね。

ところで、見て回っている間、なにやら奄美に詳しそうなおじいちゃんがいた。お連れの方とこの花はあれだとか鳥はこうだとか。奄美ご出身の方だったのかな。「ここがね…」とか言いながら絵に手に持ったメガネを近付けて熱弁ふるうもんだから監視員さんが血相変えて注意してた😇 もっとお話聞きたかったな。

🏝️🏝️🏝️

最終章は奄美で描かれた作品。ご本人は命を削って制作したみたいなことを言ってるようだが、ぱっと見ではここまで見てきた奄美以前の作品群と比べると肩の力の抜けたややリラックスした作品の印象。これも達人の域かな。

それまで認められようと必死になって制作した作品群が思うような評価を得られず、半ば世捨て人となり孤島へ赴く。そこで誰のためでもない自分の絵を突き詰めようという達観の境地に至ったのだろうか。

これは、一見ハエが止まりそうなスローボールの大リーグボール3号を渾身の力を込めて肘の腱が切れるまで投げ続けた星飛雄馬のような。例えが古すぎてすいません。ちょうどYouTubeで「巨人の星」やってたんで。


《「アダンの海辺」》1969年

最も有名な作品のひとつだろう。この絵を見る時、誰しもパイナップルみたいなアダンの実に目を奪われるが、この企画展に来る前にこの絵を使ったポスターをまじまじと見ていて、むしろその下の海のさざ波やら浜辺の小石やらの方がポイント高いなと思っていた。

実際一村さんももそこが狙い目でこの絵に添えたメモに「一生懸命描いたからそこをしっかり見てね!」的なことが書いてあった(絵の隣に自筆添え書きが展示されていた)。

加えてあのパイナップルみたいなアダンについて「人間の食料となる部分はあまりに僅少で野鳥の餌となるだけ」と最後に自嘲気味に付け加えている。

うーむ、安易だけど自分になぞらえてるのかな。どうせおいしくないんだよ。人間には振り向かれず鳥に食われちまうんだ…。あるいは、みんなアダンばっかり見るけど大事なものはそれじゃないんだよみたいな?

現物を双眼鏡で覗くと浜辺の細かい砂利が光を乱反射してキラキラしてた。よく知らないけど日本画って、対象物を正確に描くよりも裏に金箔を貼ったり画面がキンキラキンに雅になることを優先する気がしている。だから浮世絵とかも人の顔はどれも似た感じでリアリティがない(ディスってるわけではないよ)。

そういえば一村さんはいろんなテーマで描いていたが肖像画はあまり描いてないね。島で島民の顔のスケッチはしていたようだが。


《「不喰芋と蘇鐵」》1973年以前

不喰芋=クワズイモ?まずいんだろうな。アダンといい、うまくないもんばっかり狙って描いてたのか?

しかしこの異世界感はルソーというよりブリューゲルいやヒエロニムス・ボスだよね。どこかにこびととかゴブリンとかドラキーとかがいそう。

この絵は先のアダンと合わせ本人が「閻魔大王えの土産品」と称していたそうだ。いつお迎えが来ても構わない、やり切ったということか。また「(私の絵が)ヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、畫(画)正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです」なんて文章を個展開催時に寄せていた。やっぱり悪魔は潜んでいたのか。

しかし実は悪魔だけでなく、葉っぱの間を通して中央に「立神島」がひっそりと描き込まれている。私はそのへんの知識がなく見落としていて後で解説を読んで見つけた。これも意味深だねえ。

🌊🌊🌊

最後にNHK自慢の4K画像による現在の奄美の自然が上映されていた。東京に向こうから来てくれたので行く必要なくなったなとは思ったが、実際に絵を見てますます奄美に行きたくなったね。来年くらいかな。夏は暑そうだが、アダンって年中見れるのかな?

おみやげはカレンダー。二か月毎に切り離しちゃうのはもったいないね。全部壁に貼っとくか。

おまけ

いつだか来た上野の牡丹園は、秋はダリア園になるようだ。残暑が異常でまだじゅうぶん開花していないようなので表にあったサンプル?だけ撮影してきた。


追記(書くの忘れていた《椿図屏風》)

《椿図屏風》昭和6年(1931)千葉市美術館蔵

資生堂のマークにもなっているわかりやすい椿と紅白縞模様の椿が華やかに金屏風に描かれている。

紅白の椿はこんなのね

キャプションに「椿と梅が描かれている」とあり、最初このふたつが椿と梅だと思ったが、なんか梅にしてはデカいな…。一村さんデフォルメしてる? と首をひねっていたら左端に白い梅の花がひっそりと描いてあったいけず。

それよりも気になったのは、お隣に同じ大きさの金屏風があり、ここには何も描かれていない🥇。しばらく目を凝らしたが意味がわからん。壁塗りの達人(違う)マーク・ロスコもびっくりである。まさか心のきれいな人にしか見えないとかそういうオチか?? いや屏風画ってこういうお作法もあるの?とかいろいろ考えてしまった。

よっぽど監視員さんにでも聞いてみようかと思ったが「あんたそんなことも知らないのかい」と言われそうで(たぶんそんなことはない)流してしまった。

そしたら、後でこの展覧会に関する記事を読んだ際、この絵についても触れられいて、結局やっぱり誰もわからない「謎」らしい笑。なんだよそれ?(ちなみにこの絵は比較的最近一村作と判明したものらしい)

アダンの実をあんなに目立つように描いておいて、でもほんとに手間掛けて描いて、しっかり見て欲しいのは砂浜だよ〜みたいな肩透かしが好きなのかね?

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