2009.05.21東京都西国分寺

西国分寺に住んで4年になる。

昭和の初め?に建てられた住宅を賃貸に改装したアパート。
二階にある部屋は、新聞配達のカブが通るだけでかすかに揺れる。タバコの煙は壁の割れ目に自然と吸い込まれていき、外とほぼ繋がっているのがわかる。冬はすこぶる冷える。なんせ風が自然に通るのだから。1DKのその部屋には、床の間もあり、ここに掛け軸をかけて花を生けていたことはすぐに想像できた。

病院の寮をでて、本格的な私の一人暮らしはここから始まった。契約の決め手になったのはそのレトロさよりも、安さ。西国分寺から徒歩7分、1DKで3万8000円。即決。念願のガスコンロも手に入れたから、珈琲豆の焙煎も始めた。
仕事から帰り、夜な夜な珈琲を焼いて、ドリップした珈琲を飲みながら精神科医の書いた本を読む。その日あった臨床での出来事に浸りながら考えを巡らせていく。夜は意外に起きていると早く過ぎる。2時から4時が特に早い。

住んでみてすぐに分かったことだけど、この周りの人たちみんな謎が多い。隣の部屋からはたぶんテープに録音してある念仏、それとFMラジオがかすかに聞こえる。日中はずっとで夜中は止まっている。 それとちょうど私のベランダの向かいにある小さな平屋の賃貸に住んでる住人は、決まって朝4時から玄関の鍵の開けたり閉めたりを1時間半に渡って繰り広げる。断続的なこともあるしずっとの時もある。あんまり迷惑だなぁと感じたことはない。私の方がやりたい放題だからかとも思う。珈琲を焼くとチャフという豆の薄皮が結構な量舞い上がる。そのチャフ、窓を開けて風を通すと一気に舞い上がりその平屋付近に降り注ぐ。その住人もさぞ迷惑だったと思う。休みの日には念仏とFMラジオに負けないくらい一日中私も音楽を流していた。私はサニーデイサービスが好きだ。

珈琲を焼くのは、取っ手付きのザルに生豆を入れ、中火にした火に遠火でかける。ザルを中華鍋の要領で振り豆全体に熱を通して行く。小気味好いリズムを保ちながら、大体40分位ザルを振り続ける。豆が爆ぜる音に耳を傾けながら、1回目の爆ぜでパチパチという音と共にチャフが舞い上がり、2回目の爆ぜの中盤、ポフポフと音がし始めると、ちょうどフレンチローストになる。豆の色も薄緑から焦げ茶になり、フレンチの頃には油が染み出してくる。この頃は、特にブラジル産ピーベリーの豆をよく焼いていた。

ある日のことだ。
仕事のない土曜日の昼過ぎ、いつものようにサニーデイサービスを流しながら珈琲を焼いていると。プレハブの事務所の様な、このアパートの薄い玄関のドアが外れるかと思う程の強さと勢いで、ドンドン!ドンドン!「すいません!開けてください!」「向かいのものです!」と…。私はチャフの引け目もあり「あ〜ついに怒っちゃったかな…」と火を止めて「はい」と玄関を開けた。色白で小太り、小柄な40代だろうか。髪の毛もボサボサて、顔色は不良。まるで健康感のない男性が少し息を切らしながら「こんにちわ」と話し出した。「すいません、珈琲の塵、ですよね」私は相手の表情から怒りではない、焦りや、困惑を感じ取っていたからすいません変なことやってまして…と言う具合いに謝罪をした。「いえいえ違います。珈琲はいい香りですよ。洗濯機から水が、ベランダ溢れてます」一瞬何を言っているのか理解するまでに2秒ほどだろうか。時間がかかった。「!…洗濯機!」すぐにみに行くと…ベランダ置きの洗濯機の排水がつまりベランダから下へ、今いる住民の玄関先に降り注いでいる。あ〜。2回目のすすぎの途中の洗濯機には水がまだなみなみと残っている。困ったか、諦めた様に洗濯槽を眺める私に玄関の方から「手伝いましょうか…?」と。「ありがとうございます…すいません」と彼を家に招き入れ「どうしたもんですか?水もまだこんなにあるし」と言い終わるか終わらないかのうちに、彼はベランダの排水を確認し「雨樋との連結のところが詰まってます。この松の枯葉ですよ」と。この敷地の昔の入り口には立派な松の木がある。賃貸になる前の名残だろう。ずいぶん立派な松で2階の屋根ぐらいまで伸びている。この賃貸のオーナーは70代か80代の御婦人だ。おそらくその旦那が手入れを昔はしていたのだろう。今はもう他界して1人なのだろうか。敷地の草むしりをする姿は見かけるが、松の手入れはこれまでの4年間で一度もない。雨樋の方まで手を伸ばし枯葉を取り除く。幸いにも詰まりはそこだけとみられる。枯葉を取り除くと一気に排水が流れ出し、ベランダから水が溢れ出すこともなくなった。一安心だ。「ありがとうございました」と挨拶をすると彼も安心感のある表情をしている。せっかくだからお礼も兼ねて珈琲に誘ってみた。彼は少し躊躇する様子もあったが、「じゃぁ」と笑みを浮かべた。私はお気に入りのピーベリーをご馳走した。

その時、彼の手が目に入った。まるで生活感のない、労働者のそれとは全く違う。か細く弱々しい手。なのにその手は所々アカギレがありあれている。不潔恐怖、洗浄強迫、確認強迫、彼の生活はおそらくそれに近いものだろうと腑に落ちた。毎朝の施錠確認。今まで私の知り得ていた隣人の生活は、ふとした出来事をきっかけに様相を変えた。向かいの平屋での生活はどんなものなのだろう。彼にとってそれは幸せで、彩り豊かなものではなく、不安と苦労、悩みに満ちたものであることは想像できた。

じわーっと「どうもありがとう」、そんな思いがこみ上げて来た。彼にとって見知らぬ、得体の知れない隣人の部屋を訪れること。雨樋の松の枯葉を素手で取り除くこと。私が淹れた珈琲を飲むことはとても勇気のいることだったに違いないのだ。その一瞬後にふと自分自身のことを思った。あぁ…疾患や病気、障害を見ていたのかも知れない。なんだかまた、申し訳ないのか、恥ずかしいのか、そんな思いがした。そんなことが頭をよぎったのは、時間にすればほんの数秒だったと思う。

「今日は本当にありがとうございました。助かりました」珈琲の飲み終わりにそんな挨拶を交わした。そして「手、大丈夫ですか?」と聞くと「あ、」といい、目線を手に落とすと「大丈夫です。もともとは日曜大工とか家のメンテナンス自分でやるの好きだったんです」と少し照れているのか、以前のことを思い出しているのか、少し頰が緩んだように感じた。「珈琲ごちそうさまでした。美味しかったです」「いえ、ありがとうございました。気をつけます」そんな会話だったと思う。それで彼とは別れた。

職業柄、病気、疾患、障害、そういったカテゴリーには敏感になる。職場ではその傾向はより強くなる。けどそれはその人じゃない。彼が目線を手に落とした時の表情、あの時彼の頭の中に浮かんだのは、日曜大工をやっていたあの頃、仕事、家族…様々なことがよぎったに違いない。今まで目の前にいた彼は彼に違いはないのだけど、それが彼ではない。当たり前のことだが今の彼になるには産まれてから今日の今までの彼がある。その全てを彼として眼差しを向け、探していかないと私達みたいな仕事はできないのかも知れない。

その後、彼とは話していない。お互いに存在を感じているものの、言葉を交わすことはない。いつものように朝の4時から鍵の開け閉めは続いている。得体の知れない隣人ではなく、昔日曜大工を好み、おそらく家族や仕事もあった。そして、彼が優しさや正義感を持ち合わせていることもわかる。そんな男性の隣人は、強迫行為と共に暮らしている。でもこれは彼の全てではなくほんの一部だ。

彼は今どうしているだろう?
彼もまた、あの日の珈琲を思い出す時があるのだろうか。

私はもう珈琲は焼いてないんだ。


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