見出し画像

今の私と昔の私、中の人と外の人

外から見た自分、気にしてますか?思えば、中身が変わらないまま、ずいぶん年を食ってきた。いつしか、若いころに脂ののった先輩だった方々がご定年に差し掛かるようになってきた。ご定年と聞くと、ご無沙汰だけどこの機にお会いしたいなと思う。久しぶりの先輩に久しぶりの人のご定年の話を聞き、「今度その人に会うから一緒においでよ!」ということになった。

さあ大変。LGBTQというほど、性別の垣根には達していないけど、おばさんの私は中身も外身もかなりおじさんである。そして、長い間おじさんがたくさんいる会社に勤めていた。そのため、仲のいい先輩もおじさんだ。先輩も、多少おばさんっぽい部分を持っているので、よけいに馬が合う。今時の言葉で言えば、女性性、男性性があるってやつ。仕事の時も兄弟のように仲良くやっていた。

「さあ大変!」といったのが、会社を辞めてから、私は在宅で好き放題に暮らし、それにコロナが引きこもりに追い打ちをかけ、全く人目を気にしない、見た目が野生の自分になっている。要点で言えばすごく太っている。お会いするおじさん二人はもちろんピシッとしている。こういうシチュエーションだとテレビドラマのように男性の目を気にして…みたいに思われるかもしれないが、私の感覚としては同期の女子会が近づいたときような感じで焦っている。

だから、対ありたき自分に焦ってるんだな。多分、社会的な自分をしばらく見ないようにしていたのかもしれない。昔だったら、こんなこと絶対しない、みたいな垣根を少しずつ踏み越えて、だらしなくなってきた気がする。別に私がどうであれ、お会いするおじさんたちとの友情は変わらず、会ったときに「どうしたの、そんなに太って」とそのまま言われ、そのあとで、誰かに他意なく「〇〇ちゃんにこないだあったんだけどさー、めちゃくちゃ太ってたよ、大丈夫かなー」と言われるだけである。

だから、そういう自分でありたかったのかなってことなんだな。中身については、最近昔なしとげられなかった恨みをはらすかのように、中国語を勉強しようとしているのに、外身は?私の今のファッションとか身だしなみは、人に不快感を与えない最低限という若干ネガティブな基準だ。そのため、きれいにするとか、ありたい自分とかっていうのはゼロ。お手入れも全然していない。

私はもともと肌とかも強くて、自分で鋼鉄のお肌と呼んでいたが、そうなるとかえって手入れしないから、年を取った今はきれいに手入れしている人にもとると思う。まあ、今回を機に先輩方に会うまで短い期間だけど、ちょっとは摂食したり、手入れをしたりして、情けなさすぎる自分からは少しは脱却して、先輩たちに会おうと思う。そうじゃないと心配されちゃうしね~。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします。 幸せになる記事を書くための取材費にします♥