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満月と葦の池

浄土宗を開いた法然(1133ー1212)は、念仏ひとつで救われると教えながら、自身の生涯は戒律を守り、墨衣の一凡僧として、称名念仏(南無阿弥陀仏と声に称える)を日課とし、毎日数万遍の名号(南無阿弥陀仏)を称えましたが、そのような規範を、すべての人に強要することはありませんでした。

法然は、教えを聞くものに対し各自の個性を大切にしつつ、念仏を営むのに最も都合の良い生活を選ぶことを教えられました。

「現世をすくべき様は念仏の申されん様にすぐべし、いはくひじり(聖)で申されずは、め(妻)をまうけて申べし、妻をまうけて申されずは、聖にて申すべし」

「一人して申されずは、同朋と共に申すべし、共行して申されずば、一人隠居して申すべし。衣食住は念仏の助業なり。これすなわち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには何事もみな念仏の助業なり」
                法然『和語灯録』

どのような生活であっても、そのすべてが念仏の中にあり、念仏は生活の中心であって、生活をしつつ念仏があると思ってはならないと法然は説いています。

生活が中心になり、念仏すなわち信仰を脇にすると、念仏は生活のために存在することとなり、念仏の力によって生活が良くなると勘違いをします。
念仏であれ他の信仰であれ、生活の為ではなく、人生を課題として励んでいる筈です。

だからこそ念仏が中心であり、念仏世界の中に私の生活を営むことが大切なのです。
だから法然は、生活様式を強要しなかったのです。

浄土教は現世に無関心

しかし法然や親鸞のように、阿弥陀仏の浄土に往生することを柱とする「浄土教」は、来世への関心だけが強く、現世の生活の規範や道義については無関心ではないかという批判が、当時多くありました。

法然も親鸞も、私たちは努力しても道徳的になり得ないことを、悲しき人間の本性として自覚していました。
私たちは、この人間の悪性を見つめることによって、深い懺悔の思いに胸が包まれるのです。
そしてこの懺悔が念仏となって私たちに返照(反省して自己の真実を求めることで、もと夕日が照り返ること)するのです。

高野山の明遍と法然の問答

法然の伝記に次のような物語があります。

あるとき高野山の明遍(1142−1224)が、法然に会って、末代悪世(釈尊が亡くなって長く経過すると悪世になるという思想)の我らのような凡夫は、どのようにすれば救われるのですか、と尋ねました。
法然は、阿弥陀仏の名号を信じて念仏を称えるばかりで、完全に救われると答えます。

「明遍いわく、しかるに念仏申せども、心の散り乱るゝはいかがすべき。
法然答えていわく、それは源空(法然)もちから及ばず。
明遍いわく、さてそれをばいかにすべき。
法然いわく、いかに心は散り乱るゝとも、仏の御誓いをたのみて、必ず浄土に生まるることを信じて念仏をよろこぶばかりである」

明遍は、そのことを納得いくように聞きただしたいがために来たのであると言って、挨拶もなしに帰ってしまいます。


彼が帰った後、法然は寂しそうに言います。

「人の顔から目鼻を取り外せないように、私たちの心からいろいろな欲望を取り除くことはできないのです。
だからこのさまざまな本能を捨てて浄土に生まれたいと願っても無理なのです。
散り乱れた思いの中に、堅固な信仰を保ち、欲望のうず巻くなかに念仏の心を失わないようにすることが大切なのです」

満月と葦の池

満月の夜に、藁の茂った池を見ると、どこにも月の光など写ってないように見えます。
しかし立ち止まってよく見ると、茂っている藁のわずかなすき間にも、月の光は砕け写っているのです。
このように私たちの心は、煩悩の草が生い茂っている泥の沼のようですが、阿弥陀仏の光明は、何ものにも妨げられることなく、煩悩の草の隙間に煌々と写り輝いているのです。

だからこそ、私たちは念仏を心の主人とし、欲望による生活は客人とする信仰の生活に努めるべきなのでしょう。

「おこれども煩悩をば心のまらう人(客人)とし、念仏をば心のあるじ(主人)としつれば、あながちに往生をばさへぬ也」法然『和語灯録』

「たとえば藁のしげき池(池)に十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見えねども、よくよくたちよりてみれば、あしまをわけてやどるなり、妄念のあしはしげけれども三心の月はやどるなり。これは故上人のつねにたとへにおほせられし事なり」法然『和語灯録』







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