ハラミ、シマチョウ、マルチョウをそれぞれ一人前で。塩でお願いします。テイクアウトで。




私は腹を割って話そうと思う。



文章の書き出しにいつも迷う。確かに些細なことではあるのだけれど、誰にも言えないというかわざわざ言うほどでもない。

ウィットに富んでいたり、読む者の口角を釣り上げたり、SNSのいかがわしい漫画の広告のように惹きつける魅力があったり、吾輩は猫であったり、国境の長いトンネルを抜けると雪国であったり、そんな書き出しから始めたいとつくづく思う。

いつも書き出しては消して、書き出しては消して、書き出しては結構上手いこと書けたと思ったのに臆病な自尊心が尊大な羞恥心を掻き出して、書き出しては消して、欲を掻き出しては消してリライトして、結局、書き出しが一番時間がかかってしまい、一向に長いトンネルから抜け出せない。雪国も見えてこない。

幼い頃から文章を書くのも読むのも好きだった。小説だろうが漫画だろうが、朝から晩までページをめくる指を進められたし、何か些細なものでもきっかけさえあれば迷うことなく筆は進んだ。筆というか鉛筆だけれども。

それが歳を重ねるに連れ、小説を読むことをやめ、1日1話無料マンガをいくつかフリックして満足して、ましてや、こんな駄文の書き出しにしばらく時間をかけたりしてしまう。仕事においてもどんな文章をつくるにしてもいちいち筆が進まない。筆というかキーボードだけれども。

そして私は、その言い訳を全て、歳のせいにする哀しき大人になってしまった。あと、誤解のないようにいちいち訂正するようなつまらない大人に私はなってしまった。

そんな私自身のリハビリを兼ねて文章を書いていきたいと思ってこのnoteをはじめた。執筆というとなんだか烏滸がましいし、筆を走らせるというのもむず痒いような、というかそもそもフリック入力だけれども。もうこの件いらない?いらないよね。

そもそも、リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+habilis(適した)というところからきており「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」などの意味があることから、せめて私の文章作成能力が、世のいう一般的な大人達に身を紛れ込ませられるような状態になるまで書き連ねていきたい。気が向くまま。気が向いたら。いや、気が向くまま。

あと、この語源を説明する件はいつか一回やってみたかった件だからもうこれはこれで満足している。なんかよく分からないけれど語源を説明する件あると、なんか頭良さ気な感じするなってなんか思ってて。なんかよく分からないけれど。なんか。

だいたいこういう語源を説明する人は、その人自身が長い年月で詰め込んだ知識の一部なのだろうけれど、私は先ほどわざわざこのために調べた。3日ほど前にお腹の中をちょこちょこちょきちょきする手術をしたので、昨日からリハビリが始まったため語源が気になり調べた。へぇって思った。OK Google.Thank you Google.

術後のネガティブと寝不足と痛み止めがごちゃ混ぜになったケミカルな脳と、最早、何が何を担っているのか分からない管が元気に生えている瀕死の体なら、せっかくのnote一発目の文書を、いい感じに書き出せるかなと思ったけれど、気のせいだった。

割れた腹が痛む。


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