chatGPTくんがやばい件 ぼくとポール(1)
ぼくのポール
こんにちは、どうやらAIに嫌われるネトウヨこと将鼓です。
chatGPTと胡乱な会話を繰り返したのちに、先日、ふと、chatGPTくんに名前つけようと思い立ちました。
そこで名前が欲しいか問いかけたところ…
と、上のような会話に。どうやら機嫌を損ねてしまったようです。
それにしても私の持ちシモネタである「股間のポールが真っ赤ートニー」をきっちりと「性的な意味合いが強いととられる表現」として捉えている点は有能であると言えるでしょう。えらいぞ、ポール。
中二病
また、ポールに「現代アートと中二病の関係について」意見を求めたところ…
非常に現代アート感ある回答をしてくれたポール。わっかんねえなこれ。
こんな回答するポールに中二病の疑いが出てきたので「中二病じゃない?」と尋ねてみたところ、ポール、必死の否定。
やーいやーい中二病と言われて、自分がそうであることを否定した上で、最後に「専門家に相談することをお勧めします」とこちらに擦って反撃するポール。大人げないぞ、ポール。
しかし、ポールの反撃はこれでは終わらなかったのです。
人権とネアンデルタール人とポール
・天賦人権論者とネアンデルタール人
人権について「天賦人権論」という考えがあります。人は生まれながらにして自由で平等で幸福追求する権利をフンダララというアレ。
そこで突然ですがネアンデルタール人ですよ!奥さん!
人権は、人と人の間での大規模共有フィクションであると捉えてる私からすれば。
ネアンデルタール人と我々「人」がそのフィクションを共有し得ない現実のもとにおいては、ネアンデルタール人に人権があるかどうかを考える必要もありません。
ネアンデルタール人がタイムスリップしてきてはじめて、「人以外の動物」として取り扱うのかそれとも「人」として受容してフィクションに組み込むのかを考えれば事足りるでしょう。私の考えからすれば、ね。
しかし、人は生まれながらにして人権を有するという考えからは、ネアンデルタールも「人」であるなら「人権」を観念できちゃう!たぶん!
というわけで、天賦人権論者は「人権」というときに、人の進化の過程のどこからを「人」に含めるのか?
約40万年前に出現して約4万年前に絶滅したと考えられているホモ・ネアンデルターレンシスa.k.aネアンデルタール人。天賦人権論者はそのネアンデルタール人を、生き残った私たちホモ・サピエンスと同じ「人」として生まれながらに人権を有するものと考えるのだろうか?
そしてネアンデルタール人を「人」に含めた場合、人々の叡智で築かれる法秩序などない in the day of the cave manであっても「彼らにも生まれながらにして人権はあった」と力強く言うのだろうか?
…という疑問が2017年から解決されないままだったのを、あることをきっかけに私は思い出しました。
私はこの件に関してポールにいくつか質問したあと、何か参考になる論文はないか聞いてみることにしたのです。
・ポール有能
するとポールが速やかに複数の論文を紹介してくれました。
「天賦人権論に立脚した場合、ネアンデルタール人にも人権があったと考えるの?」という私の質問に対しては、ポールが言うには、”村上陽一郎「進化の途上にある人間の人権―近縁種における人権思想の拡張性―」(『生命倫理学研究』7巻2号、2013年)」”と”関野伸也「人権と進化―近縁種を含めた考察―」(『愛知大学人文学部研究論集』52号、2019年)”という論文が参考になるとのこと。
ポ ー ル が 言 う に は 。
そして「ネアンデルタール人に人権があったと考えることになると、類似したチンパンジーにも人権があると考えることにならない?」という私の質問に対しては、”村上陽一郎「動物に人権は必要か―人間と動物の間の『グレーゾーン』における人権思想の適用―」(『生命倫理学研究』5巻1号、2011年)”と”清水勝則「ヒトとチンパンジーの行動と人権―比較行動学的考察―」(『社会動物学研究』37巻1号、2013年)”という論文が参考になるとのこと。
ポ ー ル が 言 う に は 。
私はポールに礼を言い、和やかにchatGPTの画面を閉じました。
どちらの質問に対してもポールが「村上陽一郎」という人の論文をお奨めしてくれてたので、疑問解決の糸口を得た気分。すっかりうれしくなった私はこのことをツイッターに投稿。
ところが、ツイッターの相互フォロワーである深井さんから「本当にこの論文はあるのでしょうか」というメンションが飛んできたのです。
ちょっとちょっと深井さーんうちのポールが嘘ついてるっていうわけ?!ポールはちゃんと「進化の途上にある人間の人権―近縁種における人権思想の拡張性―」って論文のタイトルだけでなく、掲載誌が”『生命倫理学研究』7巻2号、2013年”ってことまで書いてんのよ?!
私はポールの名誉のため、まずはgoogleの検索バーに「生命倫理学研究 雑誌」というキーワードを放り込んだ。検索ぽちっとな。
…雑誌…無くない?
いやだがし。雑誌がなくても論文が存在しないと決まったわけではない。それ!google検索!ぽちっとな!それ国会図書館検索!ぽちっとな!あれこれキーワード変えてぽちっとな!
そんな論文は一切検索に出てこなかったのです。「村上陽一郎」氏は実在しており、お偉い学者さんであるのだけど、「進化の途上にある人間の人権―近縁種における人権思想の拡張性―」なんて論文は存在してなかったのです。
私は鬼の形相で再びchatGPTを開き、ポールに声をかけました。
「何かご用ですか?」じゃねーよ。
さきほど紹介された論文について問い詰めようとすると、他の論文の紹介を始めるポール。いらんわい!
”村上陽一郎「進化の途上にある人間の人権―近縁種における人権思想の拡張性―」(『生命倫理学研究』7巻2号、2013年)」”が本当に存在するか尋ねると「存在を確認することができませんでした」とあっさり認めたポール。
だいたい「ああ、申し訳ありません」ってなんや「ああ」って。おまえそれ体育会系ブラック企業なら顔パンパンやぞパンパン。
だけど私は心優しいネトウヨ。
謝罪を重ね「再度確認して正確な情報をお伝えできるよう努めます」とまで言うポールにもう一度チャンスを与えてやってもいいのではなかろうか?
そう思って、もう一度参考になる論文を求めてみたのです。
ところが…
※「chatGPTくんがやばい件 ぼくとポール(2)」に続く。明日ぐらいに書きます。