見出し画像

名古屋刑務所

「出所したらさ、タイに旅行しようよ。」
「めっちゃいいじゃん!」
「向こうで女買って、マ◯ファナもバツも買って
これでもかってくらい遊びまくろうぜ!」
「うん!ぜってー楽しくなるだろうな!」
「そうだよな!マジで楽しみができたわ!」
「あー早く出たい。」
「マヂで早く出てーな。」
「それまでさ、中の生活頑張ろうぜ。」
「○○はうぜぇけど我慢しような。」
「ここでは我慢して、出たらやったればいいもんな!」
「そうだよなー。出たら絶対やったる。」
「マジで、今は我慢して一緒に乗り切ろうぜ!」
「そうだな。早く出るために頑張ろ!」


判決で懲役1年と執行猶予の1年10月を合わせて
合計で懲役2年10月を打たれた私は
名古屋拘置所でアカ落ち(身分が受刑者になる事)すると
名古屋刑務所へ移送されることになった。

25歳以下と性犯罪者は懲役刑を受けると
各地方の"分類センター"で
今後の処遇を決定される。
どこの刑務所に行くか決めるのだ。

この分類センター、通称"分セン"は
"鬼の分セン"なんて呼ばれ
とにかくハードな生活が待っている。

6:40 起床 角をしっかり揃えて布団を畳む
7:20 朝食 味噌汁、麦飯、ふりかけ、漬物
7:40 出役準備 放送が入り扉の前で正座で待機
7:50 出役 刑務官が一斉に鉄の扉の鍵を解錠
     行進で各工場へ向かう
     腕の振りは前30°後は60°
     太腿は地面と並行になるまで上げる
     少しでも手を抜けば
     「しっかり足あげて腕振れや!」と
     朝っぱらから怒鳴られる
その後、検身場へ行き下着1枚になり
口の中、手、下着の中、足の裏、を検査され
終わった人から濃い緑色の作業服に着替える。

8:00 朝礼 ラジオ体操や安全標語の復唱
8:10 基本動作訓練 行進の練習や号令に合わせて
前にならえ、右向け右、回れ右、かけ足、などの
動作訓練を30分ほどさせられる
9:00 運動場で30分間のランニング
   その後は筋肉トレーニング
   腕立て30回、腹筋30回、スクワット30回×3
   できてない人がいれば最初からやり直される

10:20 休憩10分間 同囚との会話を許可される

10:30 刑務作業開始 たまに偉い人の講義
   刑務所の幹部クラスの人が
   刑務所のルールなどを講義する
   →コレが眠くなって堪らない...

12:00 昼食 食後、休憩20分間

12:40 刑務作業 たまに偉い人の講義

15:40 作業終了
その後、入浴 水の使用量は洗面器15杯まで
       2.3人の看守に見張られて入浴

17:00 夕食 その後は各部屋で自由時間

18:30 テレビ視聴 ただし指定チャンネルのみ

社会から隔離されたこんな生活の中
月に1回だけ親族のみの面会がある。
そして面会に来る度に母は
本を5冊差入れしてくれた。

刑務所の中で毎日顔を合わす同囚とは
自然に仲良くなる。
いや、トラブルが起きないように合わせてるのか。
ほとんどの人が
もう出所したら会うことはないだろうが
人と話すことは、少しだけ、救われる。

冒頭のような会話を同囚と重ね
私は1日1日を切り抜けてきた。


ある日
休日に2度ある15分の運動時間中に
その日は夏で体が汗だくになってしまった。
タオルを濡らして体を拭ける時間があり
筋トレ後の汗を拭き取って爽快な気分の最中
部屋に怒鳴り声が響いた。

「お前なにしとるんじゃー!!!」

何事かと廊下の方を見ると
太った巨体の刑務官が血走った目で睨んでいる。

え?

とぼけた表情の私に刑務官が更に怒鳴る。

「お前はなにしとるか聞いとんじゃ!!!」
「え?体拭いてます。ダメなんですか?」

この一言で巨体の刑務官の炎に更に薪をくべたらしい。

「お前こっちこい!!誰が濡れたタオルで頭拭いていいって言ったんだ!!」

一瞬にして状況を悟る私。

「頭って拭いちゃダメなんですか?!」
頭拭いちゃダメだったんだ!言い訳しないと。

「体拭いていい時間なんで頭冷やしてました。ダメなんですか?」
このダメなんですか?が反抗的に思えたのか

「ダメなんですかじゃねぇだろ!!こっち来い!!壁向いて座っとけ!!」
「なんでですか?体拭いて良い時間だから拭いてただけです!」
「なんだお前!反抗するのか!おい!」

更に詰め寄ってくる巨体の刑務官。
これ以上何か言えば規律違反になる...
そう思った私は黙って刑務官に従った。

刑務所には
遵守事項、という刑務所内での法律がある。
それを破れば調査となり
懲罰審査会を経て、違反行為の処分がある。

どうやら私は、
体を拭いていい時間に頭まで拭いたことで
不正拭身、という遵守事項違反をしたらしかった。
→体と頭って同じじゃないのかよぉーー

そんな誤解は通用しないのが刑務所だった。

別室に連れられて
「不正拭身についての調査を行う」と告知を受け
生活していた集団部屋から独房へ移された。

便器と衝立と小机しかない4畳の部屋。
同囚とよく話していた私は
嘘みたいに静かな部屋にひとりになった。

分センを終えて、後は移送先を待つだけだったのに
急に調査になり生活が一変。

懲罰を受ければ移送先まで変わってしまう。
それよりも出所が延びてしまう。
そんな心配が四六時中頭の中を巡り巡った。

面会に来てくれる家族になんて言おう。
懲罰にならない為にはどうすればいい。
出所は延びてしまうのだろうか。

同じを思考を何度も繰り返し
静かな部屋でポツンと1人でいると
刑務官が話しかけてきた。

「腐るなよ。今は耐えろ。」

分センの担当の刑務官が立っていた。

「違反行為はもう仕方ない。でも、まだお前にとって最悪なことは起きてない。処分は上が決める事だから何も言えないけど、お前が頑張ってたのは知ってるから大丈夫だ。色々と考えるだろうけど、どうなるか分からない事に悩むより、今できることを見つけて、腐らず、頑張れよ。」

正直、戸惑った。
刑務官なのにそんな優しいこと言ってくれるの?

いつも渋面で指導する分センの担当は
話しかけても端的な応答しかしてくれず
感情が乏しい人だと決めつけていた。

見たことない表情と感情を乗せた刑務官の言葉に
私は心が動かされた。
どんな状況下でも、やるべきことをやるだけだ。
そう心から思えた。


人生ってなんだろう。

私たちは意識的にも無意識にも
日常では多くの選択を重ねて
自分だけの人生を歩む。

当たり前の事なのに、何度も立ち止まる時がある。
視野を広げれば、過去や未来を見つめてしまう。
私たちが生きているのは現在でしかないのに。

見つめた未来に躍動する時もあれば
可能性を否定して絶望を膨らますこともある。

見つめた過去の思い出の彩りになごむ時もあれば
消せない過ちが全てをモノクロにする時もある。

それが人生なのかもしれない。

そして私は、刑務所まで来て
刑務所の中でさえトラブルが絶えない生き方をしてきた。

だけど、そんな人生を思い返した時
必ず、私を支えてくれた人の顔が脳裏に浮かぶ。

多くの人の「頑張れ!」という声が
鮮明に耳に甦る。

それも、私だけの人生だ。

記憶を呼び起こし言語化する度に
最悪だった。でも、あの人には助けてもらった。
だから、ずっとひとりじゃなかったんだ。
だから、人生を諦めたくない。
そこに辿り着く。

そして、前を向き直して、立ち上がって、進み出す。

独房で懲罰審査を終えた私は
戒告処分となった。
懲罰の中でも厳重注意に当たる処分だ。

そして分センの担当の刑務官はまた部屋にきた。

「まだ最悪な状況じゃないぞ。これからだ。まだ、これからがある。もうここ(刑務所)へは戻ってくるな。頑張れよ。」

その言葉と一緒にあった
初めて見た刑務官の笑顔が今も心に残る。

細い目に岩のようなゴツゴツした顔面
低い声にがっしりした体型の◯◯刑務官。

その後、島根旭社会復帰促進センターへ
移送が決まった。
そこは全国で4つしかない民間の刑務所。

そこに行くことができたのは
間違いなく、分センの◯◯刑務官のおかげだと思う。




〜あとがき〜


2週間に1回投稿すると言っておきながら
かなり時間が経ってしまいました😂😂

投稿できなかった言い訳は腐るほど〜

ですが、出所から2ヶ月。
生活は安定してきたし、夢に向かった行動も少しづつとれてます!
ただ、やっぱり社会復帰するのは
2年も社会から離れてると
中々難しいと思うこともありますね。

だけど進みたいし、本当に人生を良くしたい。

ってな感じで、まだまだ投稿は続けますので
最後まで読んでくださった方々に本当に感謝です😁

次回は名古屋刑務所で知り合った同囚を題材に
短編小説を書こうかな🤔
どれもこれも重たい話になりますが
全てノンフィクションで描かせてもらいます。

次は2週間以内に投稿しますね💪

カッコつけて撮ってもらいました笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?