見出し画像

対談:ルトガー・ブレグマン×松本紹圭<後編>


対談:ルトガー・ブレグマン × 松本紹圭 <後編>
<前編>はこちら

21世紀を、私たちはどう生きるか


ブレグマン
21世紀のこの状況にあって、今まさに聞くべきお話をしていただいたと思います。これまでの歴史を振り返って、21世紀は最も危険な時代のように思いませんか? 科学者らは言います。「CO2排出量をゼロにするためにも、今、社会全体が大きく変容する必要がある」と。私たちは、これまでにないスキルをもって変容することが求められている。

また、最近では、再び核戦争のリスクが問われる情勢にあります。私たちは、地上のすべてを終わらせ兼ねない種の一員として、出来ることに立ち向かおうともしています。

開発される最新テクノロジーの数々は、有望です。しかし同時に、合成生物学(バイオテクノロジー、遺伝子工学、分子生物学等)や人工知能は重大な危険性を持ちあわせている。今日、この世で最も性能の良いコンピューターの機能性は、ミツバチの計算能力に等しく、人間の脳の3%程度と言われています。今後もテクノロジーは急カーブを描いて発展を続け、専門家らは2060年代には Artificial General Intelligence(汎用人工知能)、つまり、人間と同様の感性や思考回路をもつ人工知能が現れるだろうと予測している。しかし、それがいかなる意味をもつかは、分かりません。はたして、人間の意識の範囲に収まるものなのかーー。人間がコントロール可能なものなのかーー。今日、手にするスマートフォンすら、ほとんどコントロール出来ない現状をみれば、答えは想像できます。

もしも Historians for Future(未来の歴史家)が存在するならば、今の時代について、人々の意識はクレイジーなまでに、メディアの語るくだらないことに向いていたと評するでしょう。ジャーナリストたちは、意味のないことをニュースとして生産し続けている。その日の出来事を流すばかりで、私たちの日常で「毎日」起きていることが語られることは、ほぼありません。政治家たちは、次の選挙での再選に意識が向かっていますが、私たちに必要なのは長期ビジョンです。空間的ひろがりのみならず、時間軸をもケアする意識へサークルを拡げたい。

ただ、実際に現実を生きるとき、目の前のことに追われていれば、サークルを拡げることはなかなか難しいこともあるでしょう。時代を超えて継がれてきた宗教の叡智のなかに、私たちのビジョンを拡げるための知恵があるならば、ぜひ教えていただきたいのです。

松本
仏教に限らず、長い歴史のある宗教であれば必ず出来ることがあると思います。今ここにある宗教の姿(ここ神谷町 光明寺であれば、阿弥陀様でありお念仏)は、祖先から受け継いできた歴史そのものです。このお寺は800年の歴史がありますが、一般の一企業の歴史に800年という年月はなかなかありません。都心のビルの一室で100年後の未来を語るのは想像がつかずとも、800年の歴史ある場所で想いを向ければ、急にリアリティをもって100年後を描けたりするものです。「歴史ある場所」自体、私たちの視野を長期の時間軸へと促すものとして十分に価値があると思います。それは、身体で感じられるものですね。

ブレグマン
おっしゃったことは、ヨーロッパの大聖堂でも感じますね。2〜3世紀を掛け、世代を継いで築き上げた歴史をみれば、建設に携わった多くの人々は、その完成を見ることはなかったことに気付かされます。バルセロナのサグラダ・ファミリアは、今日もなお制作は続き、いまだ完成していません。ーーこれについては、スペイン人がちょっとだらしないからかもしれませんがね。オランダ人が手がけていれば、50年前には完成していたでしょう。まぁその場合、こんな風に素晴らしい姿にはなっていないかもしれませんがね(笑) 

オランダと日本、学び合えることはなんだろう


ブレグマン
継がれてきた歴史を生かすことは、日本が今立ち向かうべき一つのチャレンジと言えそうです。オランダは、労働時間が世界でも最も短い国ですが [*6] 、一方で日本は最も長い。はたしてそれは、日本人が仕事を好み、仕事に追われていたいのでしょうか。

1980年代、オランダでは労働規律にかかる抵抗運動が起きたのを機に、人々はレイジーである(規律正しさから解かれてゆとりをもつ)ことを主張するようになりました [*7] 。レイジーであればこそ、人は考え、クリエイティブになり、新たなアイデアが生まれます。生産的とも言えるでしょう。日本においても、仕事を緩める動きがあってもよさそうではないですか?そこには法的な定めも必要かもしれませんが、例えば17時以降の労働を禁止したなら、17時に仕事を終えてお寺に行く、なんていう時間も生まれますよね。

松本
なぜ日本は、こんなにも仕事に追われながら生産性が低いのかと言えば、「一生懸命、仕事する人」になるために、仕事をしているのかもしれません。

ブレグマン
社会主義だったころの東ヨーロッパで、こんな共産主義ジョークがありました。「我々は働いているフリをして、彼らは支払っているフリをしている」

松本
日本は仏教と神道の国でもありますが、人々の心には「努力教」と「我慢教」が根深く浸透しているように思います。「あの人は怠けている」と言われないためにも、仕事をするフリまでして仕事している。


ブレグマン
両親から聞いた聖書の多くの物語には、周囲を不快にさせる人々の存在がありました。そういった人々は周囲から厭われる勇気が必要ですが、集団の一員であろうとする人間にとって、それは難しいことです。例えば、みなさんがマスクをする中、私だけマスクを外したならば、私は居心地が悪いですし、みなさんも異様に感じますよね。今、オランダでは誰もマスクをしていませんが、日本は誰もがマスクをしている。こうした異なる行動や思想、文化から、お互いに何を学べるでしょう。

私たちオランダ人は、日本のみなさんから、見知らぬ他者をもてなし、友好的で親切に接する姿勢を学べると思いますね。5年前、妻と初めて東京を訪れた時の出来事には圧倒的されました。私は大学で講談をしたあと、妻と待ち合わせをしていましたが、異国の見知らぬ土地で、妻は場所を誤ってしまいました。道ゆく日本人に尋ねると、その方は地下鉄で30分の道のりを共にして、妻を目的地まで案内してくれたんです。オランダの友人たちに話すと、さすがに誰もが驚きます。

日本がオランダ人から学べるものは、「正直にある」ことでしょうか。人が集まって生きるには、真実に基づく公正な判断が望まれる場合があります。歴史を振り返り、重要な変革を起こしてきた人々をみてみてください。たとえば18世紀に奴隷制の廃止を訴えた人々は、世間からは嫌われ多くの人を不快にさせました。しかし、今となっては、彼らは歴史上、正しい側に立っていたとわかります。

ということで、これは宿題ですが、みなさん少なくとも週に一回は、(オランダの古きよきしきたりに習うと思って、正直になり)誰かをイライラさせるような状況をつくってみてください(笑) 他に学び合えることはありそうですか。

松本
「他人に迷惑をかけたくない」という思いを日本人は抱きがちです。けれど、そもそも他者の命を奪って生きている私たちは、他人に迷惑をかけずに生きることなどできません。「迷惑をかけない」は、日本人にとって一種の「呪い」のようで、それゆえに「努力教」「我慢教」が浸透していると思います。我慢したくないのに、我慢している。その状態が続くと、「こんなに我慢しているのに」と、正直に行動している人への怒りが湧き始めます。日本社会には、そうしたややこしいスパイラルがよく起こります。

日本語では、「Responseablity=自己責任」と訳して使われています。自己責任という言葉には「責められる」「背負わされる」感覚が伴いますが、本来は、「Reponse+Ablity=応答可能性」という、他者との関わりの上に起こる自然な動きの言葉です。この訳し方の背景に、日本社会に蔓延する、何かこじれた言い訳めいた意識が入り込んでしまっているようにも思うのです。そういう意味で、日本人が「正直になる」ハードルはオランダよりも圧倒的に高いと思います。私たちが「正直さ」を学ぶには、オランダに行くのが早いかもしれません(笑)

ブレグマン
折をみて、クレイジーなオランダ人たちを日本に招いてもらうとよさそうですね。



質疑応答

Q. 共感の限界

他者を気遣う共感(エンパシー)のサークルを広げてゆくというお話がありました。世界の無数の課題や溢れる情報にさらされて、多くの人が心の病に苦しむ現代、サークルを拡げることで、考えなければいけないことが過剰になれば、結果的に共感を失うことにはならないでしょうか。

ブレグマン
哲学者 ジェフリー・バートン・ラッセル [*7] は素晴らしい名言を残しています。「心の文明化(精神性の高まり)は、流れる涙の数を見ればわかる」と。たとえば防ぐことのできた事故によって、毎年500万人の子どもが亡くなっているという事実を前にして、その背景に生じ得る人々の感情をいかに感じ取り、そこにリアルな人間の存在、生命の姿を捉えられるかーー。

そして、間違えやすいのですが、Expanding Circle で必要としているのは共感(エンパシー)ではありません。心理学者の ポール・ブルーム [*8] は、著書『Against Empathy』で次のように言っています。私たちが他者に共感しようする時、相手の苦しみの体験を、自らも同様に味わいます。しかし、共に苦しんでいては先へ進むことができません。私たちに必要なのは、共感(エンパシー)ではなく思いやり(コンパッション)です。コンパッションは、他者の苦しみに気づき、愛や優しさを必要としていることに気づくこと。サークルを拡げるとき、他者の感覚を同じように感じる必要はないのです。

松本
他者の痛みを自分の痛みとして感じることを共感というならば、自然とそのような感覚が湧くことは人間の美しさであると同時に、どこまでも他者にはなれない、つまりは本当のところは「わからない」ことをわきまえておく必要がありますね。共感に信頼を置き過ぎない、ということでもあるでしょう。また、「サークルを拡げる」ことは、意識を拡大させるプラクティスとしてはいいですが、あくまでも頭でイメージするバーチャルであることをわかっておくとよさそうです。実際に、私が私の延長(私の一部)として感じられる円こそ大切にして、そこからどう拡げられるかやってみる、ということでしょうか。そこで、限界を知ることもあっていいと多います。バーチャルに溺れてしまわないことですね。


Q. ジャーナリズムになぜ批判的?

Expanding Circle にあたっては、世界の情勢を知る必要があります。確かに世に伝わるニュースの質は様々で、私たちも囚われ過ぎなところがありますが、ジャーナリズムに対してそこまで厳しい目を向けられる理由を聞かせてください。

ブレグマン
よいご指摘をありがとうございます。私は常に、ニュースとジャーナリズムを区別して捉えているところがあります。「ニュース」は、その日起きた出来事、主に偶発的でネガティブな事件が矢継ぎ早に流されます。事実、こうした情報に触れ続けるのはあなたの心によくありません。世界のリアルな現状を理解しようにも、ニュースの流す映像や語りは誤解を生みます。一方「ジャーナリズム」は、物事を深く掘り下げて、起きた事象の構造に眼差しを向けている。特に民主主義においては、ジャーナリズムを通して、私たちの足元のシステム(何がどう機能しているか)を調査する必要があります。あなたのおっしゃる通り、ジャーナリズムはとても大切ですが、ジャーナリズムもまた批判される必要があります。そうした背景もあり、私はジャーナリズムに対してこうして塩辛いコメントをしています。


Q. 楽観と希望

世界には数々の難しい状況がありながら、「人間の希望」を提示されるその楽観的(Optimist)とも言える前向きな態度は、何によってもたらされているのでしょうか。

ブレグマン
「楽観的(Optimist)」という言葉には、どこか生ぬるい感覚が伴いますね。私のいう「希望」の背景にあるのは、「とりあえずなんとかなるから、心配ないよ」といった楽観ではありません。私たちに必要なのは「希望」です。「希望」は変化を生み出す可能性であり、「私たちには出来ることがある」と、次なる行動を創造します。ーーもちろん、うまくいかずに失敗することもありますけれどーー楽観と希望は、大きく異なりますね。


Q. 希望をもち続けるために

希望をもつことは建設的な提言につながると思いますが、そうあるために心掛けていることがあれば教えてください。

ブレグマン
歴史に学ぶ最も大切なことは、状況は異なっていたかもしれないということです。とある小説家は「過去とは異なる国である」と表現したほど、今、このようにある状態は、数ある可能性の一つに過ぎないということです。このシンプルな事実を、私は日々、歴史書を開く度に気づかされるのです。今日まで、絶えず変化を続けてきたうえに今があり、今もまた変化している。これまで生きた人々の行動によって、如何ようにも状態は変わり得るわけです。時に私たちは、状況は何も変わらないように思えて、悲観的になったり文句を言いがちになることもあります。「シルバーデモクラシー(高齢者に偏る民主主義)」の状況にあるこの国において、日本の若者たちと話していると、「どうせ変わりやしない。社会は古い体質のトップに牛耳られているんだ」といったフィーリングを強く感じます。彼らにはぜひ、このメッセージを伝えたい。

「ものごとは如何ようにも変わり得る。そのことを歴史は証明している。私たちにかかっているのです」と。

松本
他者と関わり、異なるものの見方に触れることが大事だと思いますね。直接自分が触れ合うことのできる他者は限られます。だからこそ、沢山の依存先をもつことが大切だろうと。他者と関わりながら、関係性が開かれていて、その先に異なる関係性が連なっている。そんな世界がつくれたらいいですね。そこでは、連なりに起こる展開は未知数ですから、どこかには「希望」がある、そんな感覚を持ち続けられると思います。

宗教こそ、ともすると唯一の依存先となりがちですが、お寺もまた、みなさんのたくさんの依存先の一つであれたら嬉しいです。


Q. How can we become better ancestors?

私たちはいかにして、よりよき祖先になれるでしょうか。

ブレグマン
はかり知れない犠牲を払い、現代の私たちが当然のように手にしている「自由の権利」を求めて立ち向かってきた活動家たちーー奴隷制廃止や、参政権の拡大を求めた人々(abolitionists and suffragette)もそうですねーー18世紀を生きた彼らは、私にとってのロールモデルです。そして時に、自らに問いかけます。「もしも彼らがこの社会に生きるなら、彼らはいったいどうするだろう?」と。私は彼らのようにありたいですし、彼らのようなよき祖先に私もなりたいと思います。



<注釈>
*6 オランダは OECD加盟国の中で長時間労働の割合が最も少ないとされる。(参考:OECD Report:Netherlands )
*7 1982年、企業の競争力の回復、雇用創出、財政の再建を図る目的でなされた政労使三者による「ワッセナーの合意」が、オランダのパートタイム労働(無期雇用の正社員、労働時間の長短以外の待遇は同じ)ワーク・ライフ・バランスの向上を促した。 (参考:https://www.sompo-ri.co.jp/2022/03/03/4103/
*8 Jeffrey Burton Russell (1934-)哲学者・宗教学者 
*9 Paul Bloom(1963-)哲学者
 ・著書『Against Empathy』|邦訳『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』(白揚社)
 ・動画「Why I’m against empathy | Paul Bloom」

 

2022.11.25 神谷町光明寺にて

ルドガー・ブレグマン著 『Humankind 希望の歴史(上・下)』(文藝春秋)


(構成・執筆:津森絵理子)

ここから先は

235字

このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

"Spiritual but not religious"な感覚の人が増えています。Post-religion時代、人と社会と宗教のこれからを一緒に考えてみませんか? 活動へのご賛同、応援、ご参加いただけると、とても嬉しいです!