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オードリー・タンが問う「良き先祖になれるか」

南澤道人老師が、永平寺第80世貫首に就任され、晋山式が執り行われた。

彼岸寺のインタビューで札幌にいらっしゃった南澤老師を訪ねたのが懐かしい。

とても穏やかなお人柄で、これからもどうかお元気で過ごされてほしいなと思う。

そういえば、東大寺の森本公誠長老も、お元気だろうか。

永平寺しかり、東大寺しかり。

今日も世界の平和と安寧を祈り続けてくださっている人たちがいる。

都市生活の中ではなかなか見えない何かで、この世界が支えられているところが確かにある。

最近はそんなことを思う。

浄土真宗本願寺派の石上智康総長とも、時々おしゃべりする。

僕の所属する神谷町光明寺が智康さんのご実家だから、僕が僧侶になったばかりの頃からもう20年来のおつき合いになる。

お会いするたび、智康さんは「日本から世界へブッダ・ダルマを広めるセンターを作りたい」と語る。「仏教を広める」ではなく「ブッダ・ダルマ(仏法)を広める」というのが面白い。よくよくお話を聞くと、ブッダ・ダルマは普遍的なものだから、宗派宗教にかかわらず、教団の論理などに絡め取られることなく、世界平和のために貢献する人間の人格を形成する土台となるのだという。とても、Post-religion的な発想だと思う。

そのようなセンターを作るならば、どんなテーマがいいだろうか?という問いかけをいただいたので、僕は「倫理」を推した。これからテクノロジーが加速度を付けて進化していく中で、人間がやっていいことといけないことを考えることがますます求められていくだろう。その時に、ブッダ・ダルマに基づく判断基準が企業組織や社会にとって有益な視点を提供できるのなら、大きな価値を持つはず。

企業倫理、医療倫理、科学技術と倫理など、現代の倫理の問題を考える上でも、伝統宗教が紡いできた悠久の時間軸が大事になると思う。

昨日、縁あって、台湾のデジタル大臣オードリー・タンさんとの意見交換ミーティングに参加させてもらった。ミーティングの様子を見ていても、その佇まいから素晴らしい人格者であることは明らかだった。何より素晴らしいのは、楽観的な明るさだ。ハラリ氏との天才同士の対談でも、そこが対照的だった。

オードリー・タンさんのことを知りたい人には、この本をおすすめしたい。

ミーティングの中で、僕はオードリーさんに「未来に向けて準備するために、私たちが抱くべき最も重要な質問は何だと思いますか?」という質問をした。

その質問に対し、オードリーさんは、「どうしたら私たちが良き先祖になれるか、という問いです」と答えてくれた。

ちょうど今、たまたま僕は「Good Ancestor(よき先祖)」という本を翻訳しているところだったから、オードリーさんからずばりその言葉が出てきて、本当に驚いた。

オードリーさんは「まだ生まれてきていない未来の世代にとって、僕たちが良きAncestor(先祖)となるにはどうしたらいいのかを考えて、行動することが必要です」という趣旨の話をしてくれた。

これは、血筋の話ではない。今朝のテンプルモーニングの対話の時間、「木を植える」話が出た。家族や子供が居てもいなくても、悲しみの幅を広げれば、未来の世代と繋がれる。そういう意識の中で、何百年か後を考えて、木を植えるでもよし、自分のできることをすればいい。

最近、人生について考えることが多い。その時に、「一度限りの短い人生、いかに生き、いかに死ぬか」と眉間に皺を寄せて考えることもできるけれど、僕はせっかく宗教という悠久の時間の世界に親しんできたのだから、もっと長い目で人生を捉えてみてもいいんじゃない?と、オードリーさんに言われたような気がした。

長い長い悠久の時間の中で、自分にできることなんてほとんどないに等しい。
ならば、逆にもっとゆったりと構えて、木の一本でも植えてみようか。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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