「小説 ハナサキの再生」 第一回 潰された異動

「耕一くん、あなたの将来をちゃんと考えてあげているから、ジョブチャレンジの願い届けを取り下げてくれる?」と、問答無用な口調で、吉原事業部長が言ってきた。

これはおかしな話。ジョブチャレンジという制度は社員が上長を通さず、希望する部署と個別に話しがついたら異動できる、キャリアの救済措置の意味も兼ねている仕組みで、吉原がこう干渉してくるのは明らかなルール違反だ。

「吉原さん、私は海外で働いてみたいです。」ルールのことを言っても仕方がないと耕一は分かりきっているから、希望を重ねて訴えるしかない。

「分かっているけど、ジョブチャレンジの話しは聞いていないから、とにかく取り下げてくれ。」忙しい吉原はもうこの会話を続ける気はない。

「私がですか」。耕一からの最後のささやかな抵抗だ。

「そうだよ、アナタが志願したから、アナタが取り下げるしかないだろう?」。

「承知しました。」

せっかくまとめた異動が潰されただけではなく、自分から取り下げるという形まで取らされる。こういうことは人事部門に履歴を残されるので、今後このジョブチャレンジ制度すら使いづらくなる。まったく、理不尽にもほどがあるだろう。と、耕一の心の中に不満不平いっぱいだが、吉原の態度からして、もうこれ以上何を言っても、わがままな社員と嫌われるだけで、下手すると、いままで苦労して吉原に築いた好印象も台無しになる。それより、ここで一旦引き下げて、最悪転職すればいいやと、計算したので、耕一が吉原に一礼して、黙って大きなデスクの前にある小さな椅子から立った。

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日本を代表する電機メーカー、ハナサキ電産に入社して5年、耕一のキャリアは行き詰まっている。

そもそも、いまやっているテレビ事業は自分の志望ではなく、新卒入社したら人事に勝手に配属させられたものだ。ちなみに、耕一が志望したのはパソコン事業だ。ハナサキ電産のノートパソコン「We note」は1キロと軽量化している上で、バッテリーは10時間も持つと、他社の追随を許さない存在で、官公庁や大学に非常に高いシェアを誇る存在だった。なのに、どういうわけが分からなく、斜陽産業の大代表のテレビに配属させられた。

そして一年目は雑巾がけともいわれるマーケティングの商務チームに所属して、仕事はエクセルでグローバルの販売データをまとめるだけ。ここに配属された理由は、商務はグローバル市場の全体がわかるからだ。6人のチームに正社員は課長と耕一、他は派遣社員。一橋卒のエリート、耕一には単調すぎる仕事だし、チームメンバーとも深い話ができなく、孤独だ。

耕一は親の仕事関係で小中学校は中国で過ごし、本来、その語学力を活かすことWe noteのグローバル営業職を希望している。テレビの商務は希望と違うものの、営業に近いチームでもあり、耕一は石の上にも三年と自分に言い聞かせつつ、持ち前の社交力で、営業の人たちと仲良くしていて、語学力を活かして、営業の海外ディーラーの接待にも活躍した。

そうしているうちに、2年目に入って、ある日、耕一は隣の広報チームの先輩と食事しているときに、先輩から、「耕一さん、来月うちのチームに来るのね、待っていたよ。」

「え?」何の前触れも無く、急に告知された異動に耕一は不意打ちされた。

<人気があれば、続く>

#大企業 #メーカー #大阪

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