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祝・新作発売記念 ー首都高バトルの思い出を振り返ってみるー Part.10 「本当に真夜中の首都高を走った思い出」

30代も半ば、都会の交通事情への適応にも陰りの見える身体になってしまったので、20代後半での社会復帰後からは一度も繰り出すことのないまま時が過ぎてしまったものの、20代の頃は時折地元の親友たちを載せて、それでこそ真夜中も含めて首都高をドライブする機会には恵まれていたので、今回は番外編として当時のことを色々と振り返っていこうと思う。

首都高を初めてドライブしたのは20代前半のことであった。実を言うと、大学卒業後に両親がアメリカに駐在となった関係で、実家で一人暮らしを続ける日々を約5年ほど続けたのだが、その際に実家で保有していたホンダ・ストリームを自由に運転できたので、その一環としてよく友達を載せてはドライブを繰り返していた。

率直に言えば、人間不信が重なり新卒採用で落ちこぼれた挙句、非常に稀に従事していた派遣バイトを除けば、英語資格の取得を口実にしながらニートのような日々を過ごしていたので、両親からの実質的な生活費を捻出しながら、時折当てのないドライブをするような日々を、空虚に過ごしていたというほうが正しいのだろう。精神面での唯一の救いは今も付き合いの深い地元の仲間たちで、彼らの存在がなければ、自身だってどうなっていたかは分からないのだが、そういう話はひとまず置いておいて、当時の楽しい首都高の話題に切り込んでいこう(笑)

首都高を走る目的は都会の夜景観賞もさることながら、夜の首都高のストリートシーンを密かに目の当たりにする意図も暗に含まれてはいた。親友のうち一人も自動車好きであり、そうした改造車文化にも精通している身であったので、こうした目的であっても共感し賛同してくれたのは本当に有難かった。

①首都高速に合流するまでの経路と「池袋線」

埼玉在住なので、大概は県内に住む同乗者を迎えた後、大宮までは国道を経由しながら、浦和当たりのICで首都高速に合流する形が殆どであった。大宮から戸田までの国道17号線は、最早無料の高速道路という位の自動車道なので、基本的に戸田辺りまで乗り通しても問題はなかった位なのだが、当時は一律の料金であったために、一番お得な入口として浦和を結果的によく利用することが殆どであった。

大宮線を経由した後、そのまま池袋線へと乗り進めていく。改めて後述するが…この池袋線こそ、明け方の復路の際には激しいまでの睡魔に襲われる魔の巣窟であったために、本当に修行のような時であったことは未だに忘れられない(笑)とはいえ、往路の際は夜景の溢れる環状線への花道であったので、予備的に都市高速の運転に慣れる、あるいは思い出す区間としても有難くドライブさせて頂いていた。

②夜景も美しいが急カーブの多い「環状線」

環状線への侵入前後となると、通行車両も増加し、暫し渋滞に遭遇する機会が増えてくるのだが、首都高初心者の方であったら、むしろ低速で進めるほうが有難いと感じるほどに、中々にRのキツイコーナーを高速で通過する機会が格段と増えるエリアでもある。自身は首都高バトルも含めた仮想予習や、慎重な運転を心がけていた上での話では勿論あるものの、固めな足回りを擁するストリームの高い運動性能にも救われたこともあり、幸いにも一度も大なり小なり事故に巻き込まれたことはないのだが…

確かに走行の度に、実世界でスピードを出すには余りに危険なエリアであるとは感じるので、改めて仮想空間たる首都高バトルを愉しむのが一番であると感じざるを得なかった。とはいえ、このエリアのドライブは慣れれば快適で楽しいので、安全運転を心がけておけば夜景も含めて、運転者も同乗者も退屈させないドライブを共有することは出来るとは思う。

③人生で一度は眺めたい「レインボーブリッジからの絶景」

環状線を外回りした後、次は台場線へと向かうのだが、このレインボーブリッジは首都高を介して通過すると本当に壮観であるので、人生で一度は体験されることを強くお勧めしたい(笑)この辺りのエリアは道幅にも余裕が感じられるので、環状線ほどの圧迫感もなく高速道路の快適性を伴い通過できるのだが、意外と湾岸線に向かう分岐店で混乱する印象もあるので、やはり事前にナビゲーションをセットするなりの「対策」はしておいたほうがいいのだろう。

④工場萌えと港萌えを満たしてくれる「湾岸線」

お台場のシンボルでもあるフジテレビ本社を地下から通過した先には、いよいよ首都高バトルでは最高速チャレンジでおなじみの湾岸線に突入することになる(※正確にはお台場エリアも湾岸線ではあるのだが)。この辺りはほぼ「基本は工場群の景色が続く高速道路」という印象で、若干の坂道やトンネルを除けば、ほとんど普通の高速道路と大差はない。とはいえ、時折見える工場群や港からの夜景も素晴らしいので、横浜方面に向かう際はこちらの方がおススメしたい気もする。

この辺りは直線路が続くこともあり、割と会話をしながら先に進めるエリアでもあるので、割と気が付いたら横浜のベイブリッジ前の大黒ジャンクションに到着していた、なんてことも多かったが、まさにその大黒エリアで休憩を取ることになるのがいつもの首都高ドライブの慣習であった。というより、この空間に足を出向くこと自体が目的であると言っても過言ではないが、一応そこは建前とはせず…(笑)

ということで、ひとまず大黒PAに関する思い出に関しては、別記事にまとめさせていただくこととして…引き続き、横羽線と羽田線について触れていこうと思う。

⑤地味に道幅が狭く油断できない「横羽線」&「羽田線」

この辺りになると、大黒PAでの夜食も含め、真夜中ということもあり眠気も襲ってきそうなものだが、同乗者もテンションが高いので、まだ乗り切ることのできるエリアであったりする。というより、眠気を催す暇もないほどに、割と運転には忙しく油断のできない区間である印象が強い。

この辺りは夜景が綺麗というより、住宅街のようなエリアを駆け抜ける地方都市高速という印象が強い。横浜市の中心を走る辺りまでは都市交通の色合いも強いのだが、そこを抜けると車線の少ない圧迫感のある高速道路という印象が一気に高まってくる。

羽田線に入れば若干都市部に戻ってきた感はあるものの、夜景を目的とするには少し物足りない、というよりあまり印象に残っていなかったりする。基本的には湾岸線のほうがドライブをするには快適でもあるし、夜景を考慮しても魅力があるようにも感じてしまうのは否めなかった。ただ、個人的には首都高バトル時代に散々走ってきた「魔のエリア」を走っているという実感そのものが、自身を滾らせてくれるので、それだけでドライブの口実としては十分なのである(笑)

⑥復路は内回りを通過する「再・環状線」

そして、遂に復路としての環状線にカムバックを果たすのだが、帰宅時は必ず内回りの直線通りで池袋線に向かうのが慣例となっていた。この時間となると往路と比較しても交通量は圧倒的に少ない上に、一応はコーナーもそれなりに入り組むエリアではあるから、程よい緊張感で眠気を感じることなく通過できる最後の区間となる。大概、このエリアには突入する頃には、同乗者諸君も深い睡眠の時を過ごしていることが多かったが、ドライバーたる自身にとっての本当の試練は、この環状線を超えた先に待っているのである…(汗)

⑦明け方の池袋線は最大の修行の場である

往路のワクワク感とは全く異なり、復路の池袋線は「魔境」そのものである。とにかく、この区間は本当に走行していて睡魔に襲われるのだ…(汗)しかも、深夜の運転の集大成と言わんばかりの、尋常でないほどの睡魔に苛まれてしまうので、本当に油断していたら大変な事故にすら繋がってしまうレベルのものが、何食わぬ顔をしてやってくるのである…。どうしてここまで池袋線に睡魔が待ち受けているのか、それは「直線路が永遠と続く印象故の緊張感の緩和と、景色の変化の無さ」に起因するのだと思っている。

何より、この区間は往路に存在する志村PAが、何故か復路に存在しないのも大きい。要するに、一度も休憩を取る機会がないまま、睡魔が誘われる魔境に突入してしまうことになる。故に本当に、本当に修行そのものであり心底シンドイのだが、そこは真夜中に首都高をドライブしたがるモノ好きの宿命ということなのだろう…(笑)

埼玉の県境辺りに一度料金所に遭遇するのだが、そこを通過すれば睡魔の心配は一気に解消されることになる。恐らく一度リセットできる感覚なのだが、あれも中々不思議な現象ではある。浦和地区のICに到着してようやく、長い長い首都高の復路が終了することになる。

尚、こうした真夜中の首都高ドライブの帰宅時間は大概明け方になることが多い(笑)30代を過ぎた今では、もうそんな体力も余裕も全くないので、恐らく2度と行える機会はないのかもしれないが…仮に何かの拍子で都内住まいとなり、カーシェアリングやらレンタカーを介してドライブする機会があれば、もう一度くらいは楽しむこともできるかもしれない。

ということで、次回は「大黒PAで遭遇した事件簿」について語らせて頂きたい(笑)

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