上方落語協会志演義〜復活•会長選挙!その②繁昌亭オープン前夜

会長選挙が復活した時は、まだ上方落語協会は親睦団体でした。
それまで露の五郎会長が総会でほぼ毎回挨拶で

「大阪にも国立演芸場を建設する要望を国に出してまして、いずれできれば」

みたいな話をよくしていました。
(浪曲とか他の演芸団体と一緒に要望を出してるようでした)

当時は、どちらか言えば、周りの師匠方は、あんまりどうでもええ感じでした。
「できたら何かええんか知らないけど、どうせ出来ひんやろ」みたいな雰囲気でした。

その後、三枝(六代文枝)師匠が選挙で会長になったのですが、ちょうどその頃は、落語のお客様がだんだん増えてる時期ではありましたので、三枝会長の誕生はニュースになって、密かな落語ブームの追い風にはなっていました。

三枝(六代文枝)師匠と言えば「行動力」の人です。

それまでの協会執行部は
「社団法人になることを目指していた」ようだったので、
六代文枝師匠が会長になるなり、すぐさま社団法人になりました。
(この当時は、今と違い、社団法人になるのに物凄い時間がかかった。
でも文枝師匠が会長になった途端、すぐ国に認めてもらえた。そんな感じです。)

そして、天満天神繁昌亭のオープンとなります。

本日は、繁昌亭オープンまでの道のりを書いていきたいと思います。
ここは私は入門していましたし、色んな実務にも少しは携わりました。
あと、先輩方の嘘かホンマかわからない伝聞やら噂話をまじえて紹介いたします。
※ただ、今から15年以上前の話ですので、時系列など少しうろ覚えの部分があり、時系列的な間違いがあってもすいません。

★下記の歴史的事実(?)を踏まえた上で、それぞれの「太字部分」には、実は様々な事件簿(ドラマ?エピソード?)がありますので、それを紹介していきます!
なお、無料部分だけ読むと、「なんや!このしょうもない部分は?!」と感じる部分もあると思いますが、そこは有料部分においての重要な「ネタフリ」だったりします。
てなことで、まずは確認事項として(目次がわりとして)、「歴史的事実?」をお読み下さい。

【歴史的事実?】

<前提>露の五郎会長時代の事務局

上方落語協会事務局では、O氏が1人で働く時代あり
(←三代目桂米紫師匠が無くなってから後?)
※この方は名ビラの文字も書けたり、どうしても噺家がいない時は鳴り物も打ったりと八面六臂に活躍できる凄腕事務員。

1996~2000年(2001年?) 
現・はやしや律子師匠が事務局へバイト
として入る
【事務局=O氏+律子師匠の2人体制】

後に、別のO氏が(社員として?)事務局へ入り、律子師匠が辞め、後に別のO氏も辞める。
【O氏+律子師→O氏+別のO氏+律子師→O氏+別のO氏→O氏の1人体制】

※2002年 K氏(露の都師匠の旦那さん)が事務局へ入る。
【O氏+K氏の2人体制】

<繁昌亭オープンまでの流れ>

2003年 桂三枝(六代文枝師匠)が選挙で上方落語協会会長に就任
→就任パーティー(総会?)が難波のミュンヘンで開催
 ※文紅師匠も参加。
 ※事務局=O氏+K氏

2004年7月 お囃子さん(寄席三味線弾き)も協会員になる。

2004年8月 上方落語協会が社団法人になる。
※寄席を作る話がでる(2005年かも?調査中)
→作るかどうかで騒ぐ→寄席を作ることが決まる(?)

(2005年3月12日五代目桂文枝師匠が逝去)

2005年 寄席建設の寄付を始める(春?)
※寄付を募って「寄席運営が失敗した場合はどうするのか?」など総会で話し合われる(四代目春団治副会長が色々コメント)
※某新聞社1社だけ、寄席建設にマイナスな記事を大きく書くなどの事件が起きる。

2005年12月1日に「寄席建物」の着工(工事スタート)。
※事務局のO氏が2005年秋~冬に辞める(ひょっとすると2004年かも?)
 →K氏が事務局長になる
(のちに前述の「別のO氏」もまた社員に)

※【O氏が辞める前後に】
“オープンする寄席の初代席亭”として、朝日放送出身の岩本靖夫氏が招かれる。
→岩本氏が主導で事務員と「オープンしたら、どのように集客するのか?」「オープン後、どのような運営をするのか」などの実務を考える。
(※腕利きのU氏ほか数名、この頃、協会事務局へ入社。舞台担当のN氏はそれ以前に入社)

2006年8月8日に「天満天神繁昌亭」竣工(工事完了)
→プレオープンの公演
米朝師匠に舞台の上に飾る「薬」という文字を直筆で書いてもらいに、春之輔(四代目春団治)師匠が米朝師匠宅へ行く(鶴瓶師匠も同席?)。→ただ、「薬」ではなく、「楽」という文字をもらう。

2006年9月15日に「天満天神繁昌亭」オープン。
※協会員の予想に反して連日、大入満員

2006年10月 “初代席亭”岩本靖夫氏が退任。
2007年1月和歌山放送出身の恩田雅和氏が「支配人」就任。
※席亭の名称は廃止→恩田支配人の実働開始は3月ごろ(?少なくとも正月興行を終えて後に実働)

※繁昌亭運営委員会や企画委員会が活動(発足時期不明?)
 ・昼席の番組などについて繁昌亭運営委員会が取り仕切る。
 ・イベントやカレンダー・KICOKAシートなど企画委員会が作成。
※楽屋番制度の開始=オープン前に決まったのか不明。


それでは、以下は有料です。
お手頃価格にしようと思ったのですが、内容がライトな部分とハードな部分が入り乱れるので、すいませんが、割高です。
すいません!

噺家の後輩の方は言うてくれたら、内容をメールします。
(歴史なので)
※ただ、販売はしますが、事情により、いつ削除・訂正するかわかりませんので、その旨、ご了承ください!

よろしくお願いいたします!


ここから先は

14,281字

¥ 1,000

よろしければサポートお願いいたします!いただいたサポートは、株式会社笑福亭たま事務所の事業資金として使わせていただきます!