見出し画像

不正解を生きる勇気

みなさん、お久しぶりです。
花粉症勢には苦しい季節がやってきましたね。

さて、今日は最近の僕が考えていることを書こうと思います。


世の中は正解を押しつける

最近、「自分で稼ぐ力をつける事が正解」とよく聞くようになってきました。でもこれって、「良い大学に入って、良い会社に入りなさい」という常識が「稼ぐ力をつけて、自立して生きていきなさい」という言葉に変換されただけのように感じます。

結局の「正解を追っている」という本質的なところは何も変わっていないのではないのかなと思います。

例えば、稼ぐ為にプログラミングを学ぶ人が増えましたが、それは就職の為に、とりあえず大学にいくのと、何か違うでしょうか?「大学」という正解が、「プログラミング」という正解にすり替えられただけですよね。

人は自分のアタマで考えることが苦手です。自分で考えるより誰かに言われたことをやる方が何倍も楽だからです。
誰かが作った正解を正解だと思い込み、考えることを放棄して、その自分を正当化するために。それをまた誰かに押しつけます。

画像1

「不正解」で生きる勇気

一方で世の中には、わからない未来へ突っ走っている人もいます。

・デザイナーは儲からないと周りに言われても、夢を目指す為に一般企業には就職せず、毎日デザインの勉強をして頑張り続けている人

・看護師をしながら、独学でライティングを勉強し、努力を続け、ブロガーとして独立した人

どちらも、今世間で流れている「プログラミングを学ぶ」といった正解には目もくれず、自分が正解だと決めた道で努力し、花開いています。

「非常識を、正解にする」ができる人は、「自分の才能」で活動していたことが多いと思います。

才能と書くと「ギクッ」となる人が多いでしょう。


誰よりも才能に溢れていないといけないとか、自分より才能がある人がいるとか。でも、別に才能は競争ではないです。毎日何十時間も才能を磨き続けないといけないものでもありません。


僕は、才能とは、「自分らしさ」だと思っています。

画像2


「お祝いメッセージを書道で書く」とか、「今日の出来事をイラストで書く」とかはどうですか?

「才能」とか「自分らしさ」という行動の強みは、恐ろしいほどスキルの向上速度が早くなっていきます。これは苦手かもしれないという壁にぶち当たっても、「これを使えば解決できそう」という解決策をたくさん持つ事ができる。


ぜひ普段の日常に「自分らしさ」を加えてみてください。「世の中の正解」ではなく、「自分だけの正解」が少しずつ見えてくると思います。


これをやりなさいという敷かれたレールを歩くのは、「ここを歩けば大丈夫」という安心感はあるけれど、才能という名の自分らしさを仲間にすると「自分にはこの武器がある」という自信が湧いてきます。

今日はそんな話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?