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【映画考察】JOKER~人を笑わせたかった男は、社会をなぜ破壊するのか?~

みんなももしかしたら感じてるかもしれないけれど、最近、「やばいひと」が事件を起こすことが増えてる気がすると思いませんか?

こないだカフェで横にいた女子大生が、「やばい人多いよね~」と言っていたり、電車で横に座っていた男子高校生が「電車乗るとき護身できるもの持ち歩いてるわ~」と言っていました。
この辺の事件については、色々と言えることがあるとは思います。私は、死刑になりたくて犯行に及ぶ人の心理が知りたくなったため、ジョーカーの格好をした男の事件を知った後、はじめて「映画・ジョーカー」を見ました。

ここから、電車内で事件を起こす人の心理について私なりの考察をしていきます。

存在する「差」

この世には「差」というものが存在します。確実に存在すると私は思います。でも、差をなくすなんていうのは無理でしょう。例えば、体重をみんな100kgに統一する為に、50kgの人は50kg分の重りを常につけて、120kgの人は強制収容所で痩せさせられる。そんな世界は嫌でしょう。差というとネガティブな印象を抱きがちですが、差は無くならないし、なくすべきものでもないことが多いです。

お金だって同じです。みんな同じだけ働いて、みんな同じだけお金を貰えるなら、一生懸命働きませんよね。サボっても同じ額が貰えるんだから、モチベーションは低下していきます。こうして、歴史において「共産主義」は、ロクなことにならないと明らかになり、「資本主義」が発展してきました。しかし、この資本主義は、「個人が自由にお金儲けをしてもいい」という社会を目指すものです。その結果、差が大きくなり、「格差」にまでつながる可能性もあります。こうして経済的格差が広がると、それに伴って人間としての「格差」が広がります。

心優しかったアーサー

「JOKER」という映画では、主人公のアーサーは心優しい社会的弱者です。文字は正しく書けず、人を笑顔にするためにコメディに精を出し、でも、ストリートチルドレンにすらいじめられます。この描写はすごく大切で、要するにアーサーをいじめる子供たちは、学校でいじめられていたり、親の暴力に苦しむ、そんな弱者なのです。弱者がより弱い者を虐める、そんな構図です。

しかし、自分より弱い者がいない、という本当に底辺にいる人もいます。その代表例こそが主人公のアーサーです。彼は自分の感情を抑圧したときに、勝手に笑ってしまうという病を抱えています。人を笑顔にしたいけど、実際はいじめられる。笑い物にされるだけ。

そんなアーサーは、人を笑わせるという方法ではなく、もっと楽な方法で、社会と繋がろうとします。それが、恐れられること。暴走族に入ったり、非行にはしる少年も、恐れられることで社会と繋がろうとします。恐れられることで、アーサーはようやく、心の底から、笑えたのです。

学校で居場所がない。

家庭にも居場所がない。

何でも話せる友達がいない。

恋人もいない。

先生にも頼れない。

信頼できる大人がいない。

そもそも人との関わりがない。

お金もない。

やりたいこともない。

生きる意味もない。


なら最後に、自分が生きた証を残す。こういう風に事件が起きるのかもしれません。

あなたは最近の「やばい事件」についてどう思いますか?

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貴重なお時間を使って読んでくださり、ありがとうございます🙇

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