校則は「まもる」存在から「つくる」存在に変えられる。ぼくが「つくる」ことで対話を起こしたいワケ。
ぼくは滋賀県に住む、中学2年生の林樟太朗(しょうたろう)です。
ぼくは中学校で生徒会執行部として、また、みんなのルールメイキング委員会の中高生メンバーとしても活動しています。
とっても簡単にいうと、ぼくが今していることは、
「学校内で対話によって校則の見直しをしようよ!」という水面下での働きかけです。
どうしてぼくが、そのような働きかけをやっていこうと思ったのかーーー。
ぼくは幼少期に「森のようちえん」で「対話を用いてルールをつくる」ことの楽しさを知りました。なのに小学校に入学してからは先生との間で「対立」を自らつくりだしていたんです。
ぼくの学びは、ぼく自身も対話がつくれなかったみたいに、じつは先生たち大人も対話をつくることができないんだなということでした。
ぼくにとって対立は違和感でしかありません。その違和感を変えるために、どうやって周りを巻き込んで対話を仕掛けていくか…それが今考えてはグルグルしているホットトピックです。
このnoteでは校則や対話についてぼくが、校則やその間に対話が必要だと思うわけ、そう思うようになった経験などを踏まえながらお話ししたいと思います。
みんなが学校や会社、さまざまな誰かにとっての違和感が存在する場所で自分から「対話」を広げていけることを願っています。
■ 「対話」的だった幼少期のわたし
ぼくは3歳の頃から森のようちえんに通っていました。森のようちえんとは一日の大半を森の中で過ごす、園舎を持たない幼稚園のことです。1950年代にデンマークの一人のお母さんから始まり、今、世界中に広がる自然保育です。ぼくはそんな森のようちえんで毎週一回過ごしていました。
森のようちえんではすべてのことを自分たち子どもで決めていました。お昼ご飯はいつどこで食べるか。どこへ行き何をしたいのか。ルールはすべて自分たちで話し合います。時には何時間も、何日も話し合いが続くこともありました。
大事なのはみんなの意見を出し合い、お互いを理解し合いながら対話するということでした。今考えてみると、一人一人が納得することを一番大切にしていたからこそ、誰も嫌な思いをしないように話し合うことができていました。
幼少期にぼくは対話すること、みんなと作り上げることの楽しさ。対話することの大切さを体感として自然に感じ取ることができていたのだと思います。
■ 「数珠」で先生と喧嘩。対話は大人でも難しい?と思った小学校での出来事
小学5年生になったぼくは「仏教」に興味を持つようになり、県内のお寺巡りをするようになりました。
仏教への興味と、小学生ながらの「かっこつけ」が混ざって、お寺で買った数珠を毎日学校につけていくようになりました。つけて行ったその日から先生に注意されましたが、ぼくにはぼくの譲れなさがありその後もずっとつけて登校していました。
仲の良かった担任の先生とは休み時間毎日喧嘩をするようになってしまいました。
先生の主張は…学校に必要のないものはみんなが真似をするから持ってこないで欲しい。
僕はそれの何がだめなのか理解することができず、信仰は自由だし、別にいいはずなのに…と思っていました。
でもあんなに仲が良かった先生と仲良くできなくなることが嫌で、ぼくは思い切って先生に本当のところどうしてダメだと思っているのか聞いてみました。
するとぼくが数珠を他の生徒に見せびらかしているような素振りがあり、それが信仰とは違うものだと思っているとのことでした。その僕を許すと周りの子達がオシャレを信仰と偽ってつけてきてしまうのでは?と思っていたそうです。
これを知って最終的にお互いの気持ちを理解することができ、ルールではなく二人の約束のようなものですが、数珠を学校で友達に必要以上に見せびらかすということはしない。ということになりました。
ぼくはこの時、自分から先生と話す時間をつくれて本当によかったと思いました。そして例え先生のような大人でも対話を用いることは難しく、森のようちえんのようにいつも対話が用意されてはいないことを痛感しました。
ということはぼくが自ら対話を仕掛けていかなければ、こんな風に分かり合うことは少ないんだろうなと思った出来事でした。
■ 校則を考える今。中学生のぼく。
ぼくが中学に入学すると「校則」を実感するようになりました。
制服、髪型の指定など、ルールがあることに対して、はじめは違和感を感じませんでした。
でもしばらくすると…生徒の身だしなみに対してきつい言い方の指導をする先生に対して、先生への悪口を言い、態度で反抗する友達を見ていて、これは終わりのない対立だなと思うようになりました。
前述の森のようちえんでは、疑問があればすぐに発言し、少しでも嫌な思いをしている人がいたらみんなで話し合うことを大事にしていました。
なのに、表面的に言い争うことはなくとも生徒と先生、さらに先生と先生の間での言葉のないわだかまりを感じ、規模の大きい学校でも、形は違えど、同じように話し合いができる場所を作ろう!!!と、中学校の生徒会の選挙に立候補することを決めました。
「生徒と先生が学校に対しての思いを共有できるような場所(対話できる場所)を作る。」と公約を掲げて活動しています。
↑私が生徒会選挙に立候補した際のポスター
実際、生徒会執行部として活動してきて半年が過ぎましたが、これは形になりつつあります。先生の中にも校則に疑問を感じている先生がたくさんいることも知りましたし、校長先生もとても乗り気で私の話を聞いてくださいます。
■ 校則・ルールづくりに必要だとおもっていること
話は変わってしまいますが、ぼくのおじいちゃんはよく昔の自分の話をしてくれます。
おじいちゃんが子どもの頃は「中学時代、農繁期(農業が忙しくなる時期)は学校がお昼までだったんだよ。」と言っていました。さらに農繫期は通常では禁止されている自転車通学が許可されたそうです。
農家の子は農繫期になると家の農業を手伝わないといけません。子どもたちのために学校は登校への負担と時間を減らすため、そのようなルールにしていたらしいのです。また、お祭りの準備期間には学校が休みだったとも言っていました。
おじいちゃん達生徒は本当に助かったと言っていました。
僕は本当に生徒にあったルールとはこういうもののことなのかもしれないと思います。
その時期、その生徒、家族、地域にとって、学校の授業よりも大切なものがある。学校はそれを各家庭から感じ取っていたのかもしれません。
ぼくが学校校則・ルールづくりを行う上で大事にしたい・してほしいと思うことは、
・森のようちえんで経験した全員が納得できるような対話によるルールづくり
・おじいちゃんの中学校のようなおおらかさ
・先生と生徒間での信頼関係
です。
ぼくは校則を”まもる”ということよりも、みんなが心から大事だと思うことができる校則を対話し、納得して”つくる”ということに意味を感じます。”まもる”ということで対立を起こすのではなく、”つくる”ということに対話を起こしたいのです。
■ さいごに
ぼくがルールメイキングの活動をしているのはただ校則を変えたいからではありません。一人一人が心から自由を感じれることのできる社会に自分自身が暮らしたいのです。そんな社会に近づく身近な一歩としてぼくは学校内で校則を考えるということがあると思います。
だからこそ人任せにしていくのではなく、そのものに携わる一人としてみんなが意見をもって、先生、生徒、保護者、学校に関係ない人も、誰もが話し合ってみんなにとって一番いい、一番納得出来る答えを導き出すことが、そしてそんな決め方こそが本当のみんなのための校則なのではないかと思います。そんな校則をみらいの校則にするために。
僕は理想の校則、そしてそれを決める過程の大切さをいろんな人と対話したいです。
あなたの理想の校則はなんですか。
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#民主主義
#森のようちえん #おじいちゃん
#対立ではなく対話を
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