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ユニバーサルデザイン教育

 平成28年4月1日、「障害者差別解消法」が施行されてから7年が経過した。国連総会で「障害者権利条約」が採択されたのは,平成18年12月。障害者権利条約は,障害者の人権や基本的自由の享有を確保し、障害者の固有の尊厳の尊重を促進するため、障害者の権利を実現するための措置を規定しており、障害者に関する初めての国際条約となった。日本がこの国際条約に批准したのは、平成26年1月…障害者権利条約の締結に先立ち、国内法の整備をはじめとする諸改革を進めるべきとの障害当事者等の意見も踏まえ、長い議論を重ねた結果、平成28年、ようやく「障害者差別解消法」という形で成立したのだ。

 しかしながら、障害者差別解消法は、障害者権利条約に基づく障害差別禁止立法の理想からは、かなりかけ離れた内容の法律だと批判された。その理由として、第一に、障害者差別とは何かという定義がなく、禁止される「不当な差別」の意味が曖昧だという点。欧米各国の立法例を分析した上で、禁止されるべき差別概念の類型化の議論を深め、最終的には「障害に基づく差別」を、「不均等待遇」と「合理的配慮の不提供」としてとりまとめられるべきだったが、差別解消法には反映されていない。第二に、同法が、民間業者に対する合理的配慮を努力義務とした点。第三に、同法においては新たな救済機関が設けられず、既存の紛争解決の仕組みを利用することとされた点である。特に、紛争の多い教育分野や交通機関の利用に関しては、いかにすれば効果的な紛争解決が図れるのか、大きな課題が残されたままである。

 この中にある「合理的配慮」とは、「障害を持っている方々の人権が、障害のない方々と同じように保障されるとともに、教育や就業、その他の社会生活に平等に参加出来る様、それぞれの障害特性や困り事に合わせて行われる配慮」のことだ。この合理的配慮を学校現場で実現するために、取り入れられつつある考え方が、「ユニバーサルデザイン教育」である。ユニバーサルデザインの概念を提唱したのは、ノースカロライナ州立大学のユニバーサルデザインセンターを設立したロナルド・メイス。1985年のことである。ロナルド・メイスは、将来は障害者や高齢者の要望を踏まえた建築を考えるべきであると提案すると同時に、高齢者や障害のある人のためだけの特別なものではないユニバーサルデザインの必要性を示唆している。ユニバーサルデザインセンターによる「ユニバーサルデザインの7原則」は以下のとおりであり、学校におけるユニバーサルデザインを考えるうえで参考になる。
・誰もが公平に使える ・さまざまな使い方ができる ・使い方が簡単で明確に理解できる ・使い手に必要な情報がわかりやすく理解できる ・誤った使い方をしても事故を起こさない ・なるべく少ない身体的な負担で使用で使用できる ・使いやすい大きさや広さが確保されている

 ユニバーサルデザインとは、年齢や障害の有無にかかわらず、すべての人が使いやすいように工夫された用具・建造物などのデザイン。ここで注目すべきなのが、ユニバーサルデザインの対象は障害を持った人や高齢者のみでなく、「すべての人」であるという点だ。つまり、ユニバーサルデザイン教育とは、年齢や障害の有無にかかわらず、すべての児童に分かりやすいように工夫された教育であり、「すべての児童を対象としている点」が特別支援教育とは異なるところだ。すべての児童に分かりやすい教育には、3つのポイントがある。①教室のユニバーサルデザイン化:授業に集中できるよう、黒板の周りの装飾は最低限にする、一日の流れや授業の流れを掲示する。②伝わりやすい授業:子供に分かる言葉で伝える。ゆっくり話す。ポイントを板書する。視覚化する。③ルールの設定:学級内のルールをきちんと定め、明文化する。ルールを分かりやすい所に掲示する。以上の項目は、支援の必要な児童に対しては「必要不可欠」な支援となり、その他の生徒に対しては「あったらいい」支援であると言える。

 ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)という概念がある。大きく表現すれば地球上の人間全員を社会全体で包み込むという意味を持つ。つまり、社会で全員の人を大切にしようということ。社会にはさまざまな人がいるが、全員が健康で暮らしやすい生活が送れているわけではない。いわゆる社会的な弱者であると言われている障害者や高齢者も、住みやすい社会となるよう環境を整えていこうという意味も含む。ソーシャル・インクルージョンもユニバーサルデザインもベクトルは全く同じである。

 愛知県は、教室不足という理由で、2027年に特別支援学校を2校新設するという。恐ろしいほどの少子化傾向にるにもかかわらず、障害を抱えた子どもは増加していることを示している。ユニバーサルデザイン教育とかソーシャル・インクルージョンと真逆ではないか。この先も社会はエクスクルーシブな方向に動いていってしまうのだろうか。未来を担う子どもたちの育ちにも、国や社会の今後の子育ての考え方にも危うさを感じてしまう。

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