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差別するマジョリティ 差別を受けるマイノリティ

 オーストラリアの先住民族であるアボリジニは、白人から長く差別の対象とされてきた。『裸足の1500マイル』は、1930年頃のアボリジニに対する人種差別的な政策を描いたオーストラリア映画だ。当時、西オーストラリア州では、アボリジニと白人との混血児は、白人社会へ同化させるために、強制的に親から引き離され、施設に収容されていた。強制的に施設に入れられた混血児の少女たちが、施設を脱出して1500マイルもの距離を必死で歩き抜き、ついには親の元へ帰還するという物語だ。1967年の国民投票でアボリジニは「国民」と認められたが、それから50年経った今も、他の国民と比べると、教育や雇用の機会に恵まれず、平均寿命も10歳ほど短いという格差に苦しんでいる。 

 第二次世界大戦中、ナチスドイツが600万人ものユダヤ人を大量虐殺したことは誰もが知ることだが、ユダヤ人大虐殺の前段階に、多くの病人や心身障がい者が殺害された。「戦争は不治の病人を抹殺する絶好の機会である」とアドルフ・ヒトラーは、提言した。身体障害者や精神障害者は社会には「無用」であり、アーリア人の遺伝的な純粋性を脅かすため、生きる価値なしと見なされた。第二次世界大戦が始まると、知的障害、身体障害、精神障害のある人は、ナチスが「T-4」または「安楽死」プログラムと呼んでいた殺害の標的とされたのだ。T-4プログラムは多くのドイツ人医師の協力を必要とし、どの身体障害者や精神障害者を殺害するかを決めるために、彼らは施設で患者のカルテを調べた。協力を余儀なくされた医師たちは実際の殺害も監督した。宣告を受けた患者たちはドイツとオーストリアの6か所の施設に移送され、特別に設置されたガス室で殺害された。障害のある幼児や児童も、致死量の薬物注射による安楽死、もしくは食料を全く与えず餓死に追い込まれ、飢餓によって殺害された。犠牲者の遺体は「焼却炉」と呼ばれる巨大なオーブンで焼かれた。心ある市民の抗議デモにもかかわらず、ナチスの指導者は終戦までこのプログラムを密かに続行し、1940年から1945年にかけて、約20万人の心身障害者が殺害された。蛇足だが、2016年7月、相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、19人の障害者が殺害されるという痛ましい事件があった。この事件の犯人は、「ヒトラーが降りてきた」という表現で、自分がナチスと同じように障害者の安楽死を実行したのだと伝えられている。

 この日本においても人種差別や地域差別は存在し、それは今もなお継承されてしまっている。例えば、北海道の先住民であるアイヌは、「北海道旧土人保護法」という明治政府による和人同化政策によって、その生活圏を奪われただけでなく、言語や風習などの独自の文化を否定された。政府は、アイヌ民族の歴史を徹底的に軽視してきた事実がまるでなかったのごとく、アイヌ民族との共生を前面に推し進めている。
 ヒロシマ、ナガサキの「ヒバクシャ」も70年以上にわたって差別を受けてきたが、2011年の東日本大震災によって「フクシマ」も差別の対象となり、県外に避難した子どもたちがいじめを受けたという多くのニュースは鮮明に記憶している。極めつけは、震災が起きたのが「まだあっちの東北の方でよかった」という、東北地方そのものを軽視する復興大臣からの問題発言があった。
 沖縄も同様に日本政府から差別を受け続けてきた歴史がある。平和な民の暮らす琉球王国は、江戸時代、薩摩に侵略され、日本の属国となった。太平洋戦争中は日本国の「捨て石」とされ、米軍による「鉄の暴風」により12万人もの犠牲者を出した。戦後は米軍の占領下に置かれ、日本への復帰後も米軍基地という大きな重荷を背負わされ続けている。沖縄の平和のために尽力された故太田昌秀元沖縄県知事は、ただただ平和を求める沖縄人(ウチナーンチュ)として、本土の人(ヤマトーンチュ)に平和憲法の真の理念を問い掛け続けた。本土の観光客が必ず記念写真を撮る首里城の守礼門。その扁額には「守禮之邦」という文字が刻まれている。それが、「琉球王国は礼節を重んじ、国際関係の秩序を守る国」という意味だと知っているヤマトーンチュはどれぐらいいるのだろうか。

 平成28年の改正児童福祉法により、日本の主たる法律に初めて「国連児童の権利に関する条約の精神」という言葉が入った。児童福祉施設も社会の中ではマイノリティなのかもしれない。実は、意外な日常生活場面で児童福祉施設出身者への差別が存在する。刑事もの、警察もののドラマを観ていると、犯人の生い立ちを語る場面で、必ずといっていいほど、「小さい頃シセツで育った」「養護施設の出身」という表現が使われ、いつも腹立たしく感じる。児童養護施設の子だから、児童養護施設出身者だからという理由で、いかなる差別もされてはならないはずだ。それなのに、ドラマを描く際に、どうしてこんなセリフが必要なのかわからない。
 差別はさらなる差別を助長し、差別されるものはマイノリティとなり、さらになんらかの迫害を受けることは人類の歩んできた歴史が証明している。

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