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ビートルズ来日57年のLOVE&PEACE

 ビートルズが来日し、日本武道館にて最初で最後の公演をしてから今月末で57年が経つ。私が生まれる2か月前のことだ。当時、失神するファンが続出するほど熱狂する一方、お堅い人たちは思い切り眉をひそめた「ビートルズ」。ビートルズファンは不良の代名詞でもあったが、今ではNHKで特集が組まれるばかりか、学校では、音楽のみならず英語の教科書でも「教材」として扱われるようになっている。

 日本武道館といえば、日本の武士道精神を世界に示す「聖地」のような存在であり、ビートルズの来日公演が実現するまでの過程において、武道館の会長であった正力松太郎氏からは、「武道館の精神に反するようなものは困る」という発言もあって、来日反対運動が起きた。政治評論家の細川隆元氏もTBSテレビの「時事放談」の中で、「エレキギターという騒々しいものは人類進歩の邪魔」「ビートルズごときくだらないものを呼ぶとは何事か」と繰り返し批判していた。戦後20年しか経っていない時代背景もあったのだろうか。戦勝国に対する反発や外国人コンプレックスのようなものが影響し、イギリスが発信した「ビートルズ」という名の新しい文化を容易に受け入れることができず、ロックンロールという音楽やビートルズのファッションに熱狂する若者たちを「不良」と見なす風潮が存在したのだろう。

 来日当日の記者会見で、記者から「名声と富を得て、次に何を望みますか?」と質問されたジョン・レノンは、「PEACE(平和)」と答えた。その答えを聞いた会場からは笑いが起きた。ジョン・レノン独特のユーモアだと思ったのかもしれないが、その後、ジョン・レノンがベトナム戦争反対運動など、数々の平和活動を展開したことは誰もが知るところである。ちなみに、ポール・マッカートニーは同じ質問に「原爆の禁止」と答え、ジョンが「原爆禁止。そうだね。」と発言したことが会見録に遺されている。

 2013年3月20日、オノ・ヨーコ氏がインターネットで「銃なき社会」を訴え、全世界から共感を呼んだ。その際、夫のジョン・レノンが凶弾に倒れた1980年以来、この33年間にアメリカ合衆国内で105万人以上が銃で殺されたと、血痕の付着した夫の眼鏡の写真と共に発信した。
・「1980年12月8日にジョン・レノンが殺害されてから、アメリカでは105万7千人以上の命が銃により奪われています。」
・「アメリカでは毎年、3万1537人が拳銃の犠牲になっています。私たちはこの美しい国を戦争地帯に変えようとしてしまっているのです」
・「共にアメリカを取り戻しましょう。平和な緑の大地を」
・「愛する人の死は、心に穴が空いてしまうような経験です。33年経った今でも、息子のショーンと私は彼に会いたくて仕方がありません」

 1984年に公開された映画『キリングフィールド』は、カンボジアにおけるポル・ポト派の大虐殺を描いた衝撃的な映画だった。そのエンディングに流れたのがジョン・レノンが「愛と平和(LOVE&PEACE)を希求して作詞作曲した「イマジン」だ。「想像してごらん。世界のすべての人たちが平和に暮らしている世界を!」と私たちに平和の大切さを教えてくれるメッセージソングだ。

 G7広島サミットで、各国の首脳が広島市の原爆資料館をそろって訪れたあと、カナダのトルドー首相が滞在の最終日に再訪していたことがわかった。トルドー首相はその後、展示内容をじっくり見たいと希望し、滞在最終日の21日午後に再度訪れたとのことだ。カナダのトルドー首相は19日に原爆資料館を訪れた際、芳名録に「多数の犠牲になった命、被爆者の声にならない悲嘆、広島と長崎の人々の計り知れない苦悩に、カナダは厳粛なる弔慰と敬意を表します。あなたの体験はわれわれの心に永遠に刻まれることでしょう」と記帳された。これまで2度も原爆資料館を訪れた先進国首脳はいただろうか。

 ビートルズの来日から57年が経とうとしている。ビートルズが訴えた「平和」の実現には、あとどれぐらいの長い年月が必要なのだろうか。私たちは子どもたちに平和な未来を遺せるのだろうか。


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