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ポストコロナの社会でどう生きるか

 名古屋市昭和区では毎年夏に「昭和区の福祉まつり」が開催され、今年で第41回目を迎えた。今年のシンポジウムのテーマは「ともに生きるために、コロナ後の社会で、どうつながり、どう生きるか」だった。

 福祉まつりの宮本益次代表が、「憲法25条には、『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』と謳われている。すべての人が人間らしく生活を送る権利があること。国はすべての人が人間らしい生活を送るために、社会環境をよりよくする取り組みをしなければならないことを定めている。コロナ禍のソーシャルディスタンスは、互いを隔てる身体的・物理的距離だけでなく、心理的・精神的距離にも影響し、他者への関りはもちろんのこと自分自身をもないがしろにするような人間の尊厳の希薄化や歪みにつながったのではないだろうか。私たちのふだんの“つながり”も危ういものにし、日々の暮らしの質も劣化していないか。人が成長するきっかけすら失ったのではないか。」と問題提起をした。

 今回のシンポジウムのコーディネーターは、中日新聞等に教育や学校問題を連載されている岡崎勝氏。宮本代表の問題提起を受け、コロナによる「三密回避の3年間」は「見守り」ではなく、「管理・監視」を徹底になっており、人間的なコミュニケーションや地域のつながりがいかに大切かを実感したと語った。「三密」は人が人としてつながり、支え合い、生活を続けていく上で人間にとって最も大事なことなのだが、「とりあえずマスク、消毒、ソーシャルディスタンス」を「やった感」の定着は人と人との関係性を断ち、さらに福祉・医療・教育におけるサービスや質の画一化を図ることにつながってしまったと言う。岡崎氏は憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」を引用し、「自分たちが持つ権利と自由を手放さないように、国に任せるだけではなく私たち自身に、自由や権利が侵害されないような努力が必要だ」と説いた。

 その後、パネラーである高校生、放課後デイサービス支援員、高齢者施設の介護士や看護師がそれぞれの思いを語った。女子高生は中1の冬からマスク生活が始まり、長期の休校措置や分散登校、各種行事の中止や修学旅行の行先の変更、そしてマスク着用の長期にわたる義務化によるマスクを外すことへの不安を赤裸々に語ってくれた。
 学校休業中に、厚生労働省から開所するように通達された放課後デイサービス支援員はでは、子どもたちが休校中も放課後デイサービスで友達と会えることの喜びや、関わり合いながら遊ぶことの楽しさを味わい、さらに友だちのことを想うきっかけとなる幸せな時間を経験していた一面があったと語った。
 高齢者施設の介護士と看護師は、「人と人とのつながり」が希薄になり、ご利用者の実情や実態がつかめなくなくなったばかりか、リハビリを受けられず、自宅での転倒や骨折の報告が増え、認知症などの心身機能も低下し、急速に衰えてしまうという「負のスパイラル」に陥り、何よりもご利用者の「生きる活力」が失われていったと話された。

 コロナウイルスに対する日本製のワクチンや特効薬は開発されていない。日本の製薬会社でどうしてこれほどの時間が経っても認可される薬ができないのか不思議なところだ。それはさておき、コロナ禍で学校生活や人と人とのつながり、三密の体験を奪われた子どもたちは、さらなる生きづらさを抱える可能性が高い。子どもだけではない。これから何らかの医療的・福祉的支援を受ける必要のある人にとっても同様だと感じている。「ともに生きる社会」「ともに生きる地域」「ともに生きる学校教育や医療・福祉」をどうやって創出していくかがポストコロナの課題だと感じたシンポジウムだった。

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合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己
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