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被爆者に寄り添うアメリカ人がいた!

 終戦直後、原爆で家を失った人々のために広島と長崎に家を建てたアメリカ人がいたことを知った。平和活動家フロイド・シュモー氏。カンザス州出身の森林学者だ。知人に送った手紙にこう記した。
 「わが国が爆撃によって日本の罪のない人々に苦悩を与えたことを申し訳なく思う多くのアメリカ人の気持ちの証しになるものだ」
 
 原爆投下に衝撃を受け、1949年に広島を訪れて被爆者のための家を建てる「広島の家」プロジェクトを始めた。53年までに広島市中区江波二本松など4カ所に計21戸の木造住宅が建てられた。シュモー氏は同じころ、長崎への原爆や戦災で父を失った母子家庭のための住宅建設資金を募った。日米を行き来し、広く知人に支援を求める手紙を送った。長崎市では52年までに9戸が完成した。

 現在、広島、長崎ともに住宅は取り壊されている。だが、広島のコミュニティハウスは移築され、展示施設「シュモーハウス」として使われるようになっている。長崎では、跡地に市営の「シュモー住宅」が建ち、今も多くの人が暮らしている。

 シュモー氏の活動が評価され、1988年に谷本清平和賞を受賞する。この賞は、被爆の惨状と平和の尊さを米国で訴えた故谷本清牧師の遺志を継承するために1987年に創設され、毎年平和に貢献した個人や団体に贈られる。これまでに、女優の吉永小百合や『はだしのゲン』の作者の中沢啓治などが受賞している。
 シュモー氏は、この谷本清平和賞の賞金を元手に、シアトルに「ピース・パーク」を建設する。原爆投下から45年目の1990年8月6日に公開されたこの小さな公園には、アメリカが1945年8月6日に広島に投下した原子爆弾で2歳の時に被爆し、12歳だった1955年に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの銅像が立っている。残念なことに、サダコ像は何度も右手を折られていると聴く。きっとシュモー氏が天国で怒っていることだろう。

 市民団体「シュモーに学ぶ会」は、シュモー氏の功績を後世に伝えるため、当時の写真など資料収集も進めてきた。代表の西村宏子さんは、「国籍や宗教など様々な違いを超えて相互理解を育むシュモーさんの姿勢は、いつの時代も共感を呼ぶのではないでしょうか。」と語った。

 原爆詩の朗読を35年以上続けてきた吉永小百合さんも、シュモー氏との出会いが心に残っているという。25年ほど前に朗読会で訪れた米国のシアトルで会った時のことを、朝日新聞などの取材に語った。
 「被爆した人だけでなく、次の世代にもいろんな形で大変なものを落としていったのが、原爆だったと思う。広島に原爆が落ちた後に『申し訳ない』と、広島に家を建てたシュモーさんにお会いすることができた。その時、シュモーさんは『原爆は、あなたの上にも、私の上にも落ちたんですよ』とおっしゃった。私たちも、それぐらいに受け止めないといけないと思います」

 シュモー氏の素晴らしいところは、日本の皇室と書簡のやり取りだけでなく、直接的な交流を深めていたことだ。現在の上皇様が皇太子だった1949年に面会し、シュモー氏が持参したスキー映画を一緒に鑑賞され、広島でのプロジェクトについて説明をうけたとのことだ。シュモー氏が上記の平和賞受賞のために来日した1988年には、東宮御所に招かれ、一緒に御所の庭を散策するなどもてなしを受けている。

 上皇様は戦後、皇太子や天皇陛下になられても歴史と向き合い、戦争を再び繰り返さないという覚悟を行動で示されてこられた。その心中には広島や長崎で原子爆弾の被災者のために家を建てるという具体的な行動で善意を示したシュモー氏の影響があったのかもしれない。

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