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世界の実態①:人間の脳と感覚器官による知覚

しばしば世界は人間の認識している通りに存在しているのではないことが指摘される。それは一般的に、我々の脳の構造や感覚器官の機能を理由に説明される。

ドイツの生物学者であるヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した環世界という考え方からも、その可能性は伺える。すなわち、それぞれの生物は特有の知覚によって各々の世界を持っており、客観的な世界の実態を知覚しているわけではないということだ。また、量子論においても、観測者によって世界は把握されると考えられている。観測されたものだけが物質化し、目の前に存在していると言う。

世界の知覚や認識に関する議論は尽きることはないが、少なくともそれは、脳や感覚器官を含む人間の肉体と関係していることは確かであろう。具体的に「世界」というものが存在するかは定かではないが、人間にとっての世界は、たとえ幻想であったとしても、我々はそれを認識している。日々の生活を送っていることがその証である。

以下では、世界(宇宙)は存在していると仮定して話を進めていく。環世界や量子論の世界のように、知覚者が全く異なるそれぞれの宇宙を有しているという可能性に対して、一つの宇宙がこの世界には存在すると考えてみる。その際、人間の世界の知覚とはいかなるものなのだろうか。

第一に人間は肉体を持っており、それに伴う感覚器官を備えている。したがって、宇宙全体の内、人間の知覚できる世界は、その感覚器官によって制限される。つまり、我々の把握している世界は氷山の一角でしかないということだ。

現在、自分の目の前にある世界は、肉体によって制限された世界と捉えることができる。あらゆる物質やものの考え方は、全てその制限を受けている。そして、我々の知覚するこの世界を説明するものには、物質と時間が挙げられる。それはすなわち、現在人間の認識する世界のあらゆるモノは時間の経過に伴い、衰え、壊れていくということだ。

それでは、人間の認識するモノ、別の表現で言えば、時間の影響を受け、壊れていくモノは一体どのように構築されているのか。それらの最小単位は何なのだろうか。

『世界の実態②:情報という最小単位』(未公開)に続く

2023年12月7日

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