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哲学か感情か:『バイオハザード』と『The Last of Us』の物語を貫く要素

しばしばYouTubeでゲームを鑑賞する。基本的にゲームを行うには長い時間を要するため、自分ではプレイしないが、その内容と物語は解像度の高さもあってか映画のように見ることができる。倍速で再生できるところや観たいところのみを鑑賞できるところは、近年の動画コンテンツのメリットと言える。

デジタル技術の向上により、ゲームの解像度は一昔前と比べて格段に高くなった。自然や人間の動き、表情がとても正確に再現されている。特に最近では『バイオハザード』や『The Last of Us』等のホラーゲームを鑑賞したのだが、その解像度の高さには驚かされる。

以上の2作品を挙げた理由は、ハイレベルな映像技術のほかに、物語が非常に特徴的だからだ。それは題目にもある通り、物語を構成し、物語を一貫する哲学と感情にある。

あくまで個人的な感想ではあるが、『バイオハザード』の物語には哲学の要素が強く表現されているように思う。もちろん登場人物の感情の揺れ動きがよりストーリーを魅力的なものとすることはあるが、その大筋や細かい描写には哲学が見て取れる。以前書いた記事『夢遊状態』でも述べたが、物語に関与する人物や組織、そして社会の姿は、現代に議論される哲学的倫理学的な問いを孕んでいる。また、登場人物の詳細な設定や舞台となる環境にもある種の哲学が含まれている。それが人によって様々な解釈や推論へと繋がっており、ゲームを楽しむ一要素となっていることは事実だ。

一方で『The Last of Us』は登場人物の感情によって物語が展開される。おそらくは人間の感情をテーマにした作品だろう。この作品は時系列をもとに2つのパートに分かれているが、両者ともに単純な言葉では表現することのできない登場人物の感情がストーリーを構成している。特にパート2のエンディングは、静かでリラックスした描写とは裏腹に、主人公の形容しがたいあまりに複雑すぎる感情が心の中で渦巻いていることが伝わってくる。

単純な娯楽としてのゲームという枠組みを超えて、小説や映画を鑑賞したときと同じような感覚にさせられたゲームは、上記の2作品をおいて他にない。これまでに重要視されてきたゲームの要素に加え、プレイヤーや鑑賞者の思考と感情に様々なものを訴えかける。まさに人々に幅広く愛されるような作品である。

2023年9月30日

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