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移り行くものとの関わり①:人間

人生で自分の時間を費やすものには、大きく分けて2つあるように思う。1つ目は自分の力で結果が制御可能なもの、2つ目は自分の力ではどうしようもないものである。

例えば、本を読めば知識はつく。具体的な知識や技術を習得することに関しては、自分の投下した労力がそのまま結果として得られる。もちろんそれに費やす時間や労力の度合いによっても得られるものの程度は変化するが、全く身に付かないということは少ないだろう。

一方で、自分の力では結果が制御できないものもある。それは様々な要素が結果と複雑に関係している場合である。例えば、仕事での昇進や子育て、恋愛などが挙げられる。自分がいかに時間と労力を注いでも、特定の望む結果が得られるかどうかは定かではない。

しかし、後者は具体的なゲームに持ち込むことができれば、前者のような制御可能なものへと変化させることができる。例えば仕事の昇進においては、評価の基準やその基準を満たすために必要な行動を特定することができれば、具体的な結果を期待できる。これは与えられた抽象的なゲームをプレイしながら、具体的なルールを特定していくような作業だ。

特定の制度によって具体的な結果が明示されている分野においては、元の抽象的な状態からどれほど具体的なゲームに落とし込んでいけるのかという問題はあれど、ある程度は最適化が可能だ。では、それが全くできない、あるいは対象物が変化してしまう(ゲームのルールが変わってしまう)ものに関しては、どのようにアプローチすればいいのだろうか。

例えば、子育ては結果を制御できない代表的な例だ。子供は自分が望んだように育つわけではない。どれほど熱心に教育を施しても、望むものとは異なるものに興味を持ちを、それを生業とする大人に育つこともある。問題は、子供は常に変化をするということだ。

恋愛にも似たところがある。自分の相手に対する気持ちと同様に、相手が自分のことを思ってくれているとは限らない。基本的には、対人間においては、仕事等で明確な利害関係があるなどの限定的な関係性でない限りは、相手を自分の意図する方向へ制御することはできない。ゲームのルールが存在しない、あるいは相手の都合によって変化してしまい、把握できないため、最適化することは困難だ。

では、このような自分の力ではどうしようもないものとはどのように向き合えばいいのか。次の記事では、ミクロな視点からマクロな視点へ、少し視野を拡大して考えてみる。

移り行くものとの関わり②:自然』に続く

2023年8月18日

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