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ハート型のライター、あるいはインターネットの話

その頃僕は19歳で、横浜に住んでいた。

大学は都心だったけれど、田舎から首都圏に出てくるときにどうせならと先に単身赴任していた父親と住みはじめたのだった。

通学にそこそこの時間がかかることもあり、大学の友だちと過ごす時間が増えれば増えるほど自宅に帰る回数は少なくなり、しばらくの間、横浜の周りに何があるのかを知らないままに過ごしていた。

これはそんな時期に短いデートをした、ひとりの女の子との、ちょっとした思い出話だ。


文章を書くのが好きだった(正確に表現するなら得意だと思い込んでいた)僕は、高校生の頃、webの自作ホームページに思いついた駄文を書きつけるのが日課だった。

たいした内容ではない。たとえば勝負下着はなぜ勝負下着と呼ばれるのか、それはなぜ女性の下着を指す言葉なのか、つまりその「勝負」のタイミングには性差があるのだろうか、などといったようなどうでもいい雑記だ。

ある日、そんな僕のホームページにコメントがあった。

彼女とはそんなふうにして出会った。まだインターネットが、今よりずっと優しい世界だった頃の話だ。


ホームページに書いた文章に他人からのコメントがあるというのはとても嬉しいことだった。インターネットの片隅に置かれただけの自分の考えが無条件で認められたあの感覚には、数字が積み重なることとは全く別の価値があった。

数字を気にしてなかったわけではない。だからこそ忍者カウンター(今はなきカウンターブログツール)は重宝していたわけだけれど、それとこれとは切り分けられた感覚として確かに存在していた。なんというか、学校の下駄箱に誰かからの手紙が入っていたのに近いような感覚として。

何が変わってしまったのだろうとときどき考えるけれど、まだ答えにたどり着けない。あの感じって、なんとか取り戻せないんだろうか(音楽の90年代リバイバルみたいな感じでうまく)


ホームページに書いた記事には、好きな音楽アーティストの話題も多かった。あの頃(というか今でも変わらずだけど)、僕はスピッツがとても好きだった。

その女の子もスピッツが好きで、その他のバンドの好みもちゃんとピッタリ合って、僕らはメール(PCメール!)で意見交換するようになった。

彼女は横浜に住んでいて、僕は長野にいた(僕はジュディマリって呼んでたけど、彼女はそれをJAMと書いた)。「蝶々結びを解くように」という歌詞がどれだけエッチなのか。ベースがルート音を弾く前にコード感のないギターと歌でしばらく押し切るmottoが如何にJ-POPの世界観を変えたのか。話題はいつまで経っても尽きなかったし、僕はその事実にとても興奮していた。

インターネットが、そこにはあった。

横浜と長野を繋ぐインターネット。僕らを巡り合わせてくれたインターネット。どうしようもない田舎を都会の感性と繋いでくれたインターネット。<table>を組み合わせてデザインしたホームページと、いまこのnoteに書いているのと同じくらいに時間をかけて書くたったひとりに向けた長文メール。同じ時間に聴いた中村貴子のミュージックスクエア。都会よりも一日遅れで並ぶ新譜。2万文字インタビューのたった一行への共感。とてつもなく解像度の粗い、お互いの写真。

たぶん、彼女が好きだった。でもそう言い切るには臆病すぎた。ネットで出会って実際に会ったこともないのに恋をするなんて人としてどうなんだろうと、そんな常識にまだ世の中が支配されていた頃の話だ。


せっかく近くに住んでるんだし会おうよという話になったのは、上京してからしばらく経ってのことだった。

場所はみなとみらいのワールドポーターズで、そのときはじめてヴィレッジヴァンガードに行った。彼女を構成していた、そして僕が憧れて止まなかった世界がそこにあった。

僕はそのとき、彼女よりも世界に夢中だった。つきあっていた女の子は別にいたので、告白するみたいな選択肢はそこにはなくて、それでも彼女は可愛かった。なんだろう、その天真爛漫さは、田舎の進学校で育った僕の知らないそれだった。

僕を先導してくれた彼女は、半歩前を歩きながら世界を案内してくれた。それは本当に心地のよい遊覧飛行だった。

そんな時間の中でのことだ。

長い長い登りのエレベーターの途中で、不意に彼女は振り返った。ポケットから何かを取り出して、僕の目の前で握った手を開くと言ったのだった。

「見て見て、ハート型のライター」

スピッツの曲の歌詞にある一節だ。

僕はタバコを吸うけれど、彼女は吸わなかった。そんな彼女が取り出したそのライターは、スピッツが本当に好きだった彼女が持ち歩くために買ったのか、それとも別の意味があったのか。

デートをしながらお互いの手はかすかに触れ合っていたし、なら握っちゃえばいいという図々しさも僕にはなかった。そんな時間を経てのその瞬間は、もしかしたら、何か特別な意味を持っていたのかもしれなかった。

今はそれを確かめる術などないのだけれど、なぜだろう、その瞬間のことをいまだに思い出す。それが僕の深い後悔の記憶だからなのか、あるいはそのときの彼女の笑顔が、どことなく悲しげだったからなのか。


さびしい僕に火をつけて、知らんぷりハート型のライター。


大人になっていま、人を信じることの難しさを知った。でも、僕にも無条件に人を信じることができていた頃があった。

それは年齢のせいなのか、それとも時代のせいなのか。自分でも整理がついていないけれど、でもそういう記憶があって良かったと、いま心から思う。

スピッツのその歌では最後にサビが繰り返されるのだが、フェードアウトするその直前、新しい一節が現れる。


力尽きたときはそのときで笑い飛ばしてよ、と。


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