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はじめてのファンレター(孤独を愛するということ)

大学に行って、若くして子どもができて、社会に出る前にお母さんになった、高校のクラスでは一番くらいに可愛かった女の子。それが彼女のプロフィールだ。

その子からもらったのが、僕の人生ではじめてのファンレターだった。不意に手渡されたそれはラブレターではなく間違いなくファンレターで(実際文面にそう書いてあった)、その経験が僕の人生をどれだけ豊かにしてくれたことかと思うと、感謝してもしきれない。

自分の創作を愛してくれる人が、たったひとりでもいるという事実。それだけで僕はここまで生きてこられた気がする。

それはもしかしたら、呪いなのかもしれないけれど。


高校生の頃、文系理系にクラスが分かれて五十音が間引かれたとき、僕の後ろに座っていたのが彼女で、僕の前の席がその子の彼氏だった。

そんなふたりに朝、おはようおはようと挨拶するのが日課になった。それ以外の接点は全然なかったけれど、授業が始まる前の短い時間には、毎日ほんの少しの雑談をした。

覚えているのは話の内容より、少し猫背で気怠げな彼女の姿だ。僕の言葉に笑い返すと艶のある黒髪が揺れ、その笑顔はどことなく憂いを含んでいて、大人っぽくて、美しかった。


その頃文化祭の実行委員長だった僕は、藁半紙に刷られたテキストを、生徒会からのメッセージという文脈で全校に配っていた。

はじめは必要があってのプリントだったけれど(たとえば文化祭の開催日数を決めるアンケート)、やがてメッセージは個人的な気持ちを語るエッセイに変わっていった。

メッセージへの反応はほとんどなかった。それでも藁半紙を各クラス委員が取りに来るロッカーに入れるのを辞めなかった自分が、今となっては(ちゃんと)恥ずかしい。


ファンレターを手渡されたのは、卒業式とか終業式とか、それに近い雰囲気の日のことだったと思う。そこには、そんな藁半紙に刷られた僕の文章が好きだったと書かれていたのだった。

確か便箋で2枚くらい。詳しい内容は覚えていないけれど、たぶん家を探せば見つかると思う。絶対に捨ててはいないと、胸を張って言えるから。


 ◆


生きていくというのは、決断と実行の繰り返しだ。そして結果に責任を持てるのは自分しかいない。

たとえばいまゲームを作る仕事をしていても「こうすれば面白くなる」「こうすれば多くの人に届く」と言い切らなければならないことが多々ある。根拠は自分の経験からくる直感だけだ。

だからこそ決断はいつだって怖い。もちろん判断が間違っていないことを様々な角度から検証するけれど、どれだけ思考しても「絶対」はない。動かしてみて物足りないと感じるかもしれないし、リリースする頃には時代が変わっているかもしれない。

人は必ず間違える。どれだけ慎重に指針を打ち立てても必ず穴はある。だから実際に穴を踏むより前に、穴を見つけられるよう、リスクを最小化した適切な優先度を設定しなくてはならない。

もちろん判断に際して、意見を聞くことはできる。でもそれは、結局のところそれは「意見」に過ぎない。脳の稼働精度は「責任」がないと最大化しない。我々は結局、チーターやインパラと同じ人間だ。

だからこそ、最後に責任を持てるのは自分だけだ。そして、責任範囲が増えれば増えるほど孤独になっていく。誰かに責任を預けられない孤独と向き合うのはつらいことだ。でも、真剣に物事に向き合うならば、そのタイミングは必ずやってくる。


アインシュタインは「常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションである」と言った。

これは確かに事実だし、「孤独を愛し」「自分を愛する」とは、この「偏見のコレクション」を愛するということだと思う。

ときどき訪れるひとり悩み苦しむ夜に、僕は「自分の偏見のコレクション」を考えながら、目の前の事象を並び替えていく。

僕の物差しでしか測れない、他人と比べることなんかできない、僕を形作る価値とは何か。それを今の自分は、どれだけの強度で受け取ることができるのか。



卒業してからしばらく経って、当時流行りはじめたSNSで彼女から声をかけられた。もしかして、というタイトルと、下田くん? という本文。

何度かメッセージでやりとりをした。今は何をしているのか、どんなことを考えて生きているのか。その頃の彼女はRADWIMPSが好きで、自分の子どもを愛していて、でもすごく幸せというわけでもなさそうだった(それはもしかしたら僕の記憶違いかもしれないけれど)。

しぶとく生きてる自分が嫌になる、みたいな一言があって、その頃の僕にはどういうことなのかが実感としてわからなかった。でも久しぶりに(子連れで)会おうとなって、待ち合わせて出会った彼女は、変わらずに綺麗だった。

確か夏の暑い日だったと思う。緑の木々の中、木漏れ日を浴びながら歩いたような気がする。でも本当にそうだったのかはわからない。


記憶というのは元来曖昧なものだし、思い出した回数だけ歪んでいくものなのだという。

だからきっと、すべては正確な記憶ではないのだろう。高校の頃に、とても美しかった女の子。その後も見惚れるくらいに綺麗だった女の子と歩いた思い出は、本当に、何度も思い返した出来事だから。

それでも、僕の中にはそんな曖昧な記憶が生き続けているし、確実に今の僕を生かしつづけている。どうしようもなく深い部分で、記憶は通奏低音のように響きつづけている。


願わくば、そんなすべての記憶が、いつまでも美しい記憶でありますように。僕を生かしつづけてくれる、美しい記憶でありますように。




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